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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1962(昭和37)年の選抜大会で準優勝した日大三(東京)は、夏の東京大会を制し、再び甲子園に戻る。

 この夏の第44回全国高校野球選手権大会は、当時の朝日新聞によると、2年後の東京五輪に協力するため、甲子園内野席の入場料に「10円の協力金がプラス」され、外野席には募金箱が置かれた。五輪開催地東京の代表校、日大三の3番打者、倍賞明(74)は、選抜大会で打率5割超。夏も期待に応えて、1回戦の徳島商戦は3打数3安打。続く初出場のPL学園(大阪)からは1打点をあげた。

 ところが、準々決勝の西条(愛媛)戦は、初回に四球で出塁して2点目の本塁を踏んだものの、その後を抑えられる。終盤に逆転されて、4―6。勢いはここまでだった。頂点に立ったのは、春の選抜決勝で日大三を破った作新学院(栃木)で、初の春夏連覇を飾った。

 「この年になると、こう打った方が良かったんじゃないかとか思い出すんです。特に打てなかった打席の球種はよく覚えていますよ。そのぐらい野球は深いんです」と倍賞は言う。

 年明けの正月、倍賞家には数万通の年賀状が届いたという。「いまだに自慢するんですけど、千恵子姉さんよりも私の方が多かったんです。皆で年賀はがきのお年玉を楽しみにしながら、見ていました」と笑う。

 倍賞は日本大学に進み、社会人野球の道を選ぶ。日産自動車で選手、監督を務めた後、義弟だった元プロレスラーのアントニオ猪木に誘われて飲食業界に。90年前後のバブル期には、東京・六本木でクラブや居酒屋など4店を経営し、銀座から1万円でタクシーをつかまえて来店する社用族や、1本5万円もするブランデーを特別注文する客も相手にした。

 現在、顧問を務める六本木のスポーツバー「Sound in Baisho(サウンドインバイショウ)」には今も野球ファンが集う。倍賞の楽しみは、夏の西東京大会で母校の応援に駆けつけることだという。(五十嵐聖士郎)

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