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 (12面から続く)

 宍戸委員 法的には、実名を含めた事実を公表することで得られる利益と、プライバシーなど、公表で失われる利益の比較衡量(こうりょう)という形で裁判実務が積み重ねられている。

 被疑者の実名についてだが、08年の福岡高裁那覇支部判決は「報道の正確性・客観性を期するためには、被疑者の氏名を特定した実名報道の方が適当である」との判断を示している。裁判所は報道機関の実名報道をかなり重視している。

 日弁連が自己情報コントロール権を持ち出すのは違和感もある。これは本来、企業や政府が保有する個人情報を第三者に提供するなとか、乱用するなと求めるコントロールの力であり、個人情報保護法などの法令で具体化される。

 ただ報道機関は報道したら終わりだが、被害者には報道後が問題なのだ。一度流れた情報はネット上に残り続け、様々な被害が続きかねない。これを防ぐには公共的空間に情報が出ていくときに止めないといけない。それを自己情報コントロール権で求めている。この要請にどう応えるか考える必要がある。

 会田委員 実名報道が大切なのは、訴求性があるからだ。座間事件でも被害者の顔が出て、様々な生きざまが書かれているのを読むと、いろいろなことを考えさせられる。

 これは誰が歴史を書いていくのかという問題につながる。日本では今、公文書がずたずたに改ざんされ、にせの歴史がつくられるような状況になっている。

 欧米メディアには歴史を書くのは我々だという意識があり、メディアがその役割を担い、事後検証が可能な形で歴史を刻む。

 事後検証可能というのは具体的な名前や住所が書かれ、後から本当に真実だったと検証できることだ。

 難しいのは遺族たちに共感を持ってもらうことだろう。記者と遺族たちがどうやってつながるか。

 二次被害を起こすのはメディアではない。刻まれた名前を見て次の行動を起こす人たちがいるからだ。その人たちに偏見や差別がある。どうすればそれを防げるか。ネガティブな反応がない社会をどう作っていくかが問われている。

 多谷委員 事件報道で最も重要なことは事実を正確に伝えることだ。座間事件は、犯罪史に残る重大な事件で、この事件の被害者まで匿名にしたのでは、実名にすべき犯罪はなくなり、報道で犯罪史を刻むことはできない。

 重大な事件では、一過性の報道で終わらず、被害者の人となりを伝える継続的な報道が要請されるが、正確性を担保する意味でも実名報道は不可欠。実名の詳細な報道は、被害者予備軍が自分のこととして事件を考える契機としても重要だ。

 だが被害者がなぜ事件に巻き込まれたかを五月雨式に報じると、読者としては事件の全体像がつかめず、「のぞき見趣味の報道」との批判を招いてしまう。

 犯罪は、それを通じて社会の病理を浮かび上がらせるものだ。事件の全体像と打開策たる政策提言を含めた総括記事が欲しい。読者が事件を身近に感じ、考え、打開策に参加する契機になる。そうした記事には実名と写真は不可欠だ。

 やまゆり園事件は、優生思想の強い日本では遺族の同意がないかぎり、匿名報道はやむを得ない。遺族のカミングアウトを待つよりも、福祉政策の進んだスイスなどの実情を報道した方が、日本の問題点も浮かびあがるのではないか。

 宍戸委員 事件報道の場合、逮捕の瞬間に一番ニュース価値が高く、集中豪雨的に報道が進んでいく印象がある。そうした事件報道は必ずしも具体的な政策提言や課題解決につながっていないと思われている。

 そんな報道のあり方に対する不満が、一番わかりやすい実名報道批判という形で噴出している構造だ。

 座間事件は、ツイッターで自分の悩みを吐露する若い人を誘い込んで起きたとされる。この事件について菅義偉官房長官が記者会見でツイッター規制に言及し、通信業界では大変な問題になった。

 私が代表を務める青少年ネット利用環境整備協議会では、自殺誘引的な書き込みの削除など突っ込んだ議論をして対策を発表した。しかし、関係閣僚会議で決めたネット対策を座間事件と結びつけた報道はあまりなかった。会議で打ち出した緊急対策の効果や各省庁の取り組みについての報道もまだ少ない。

 事件を追いかける人、裁判を追いかける人、省庁や官邸の動きを追いかける人がどんどん縦割りになっていないか。取材の力点、報道の力点を真剣に考え直してもらう必要がある。

 長谷川社会部長 ご指摘の通り、事件発生時に取材する記者、裁判を担当する記者、対策を所管する省庁を取材する記者がばらばらに動いてしまうところは課題として認識している。

 顔写真の掲載にあたっては、最近はそのつど必要性を考えるようにしている。当事者の人となりを伝えるためには必要だが、被害状況だけ伝える時には載せないという判断もある。ルールとして確立はしていないが、現場でそうした経験を積み重ねているところだ。

 久保田前GM補佐 一過性の報道ではだめだと考えている。事故直後は取材に応じてくれなくても、1年後、2年後に話してくれる人もいるし、裁判の時に話してくれる人もいる。85年の日航機墜落事故の遺族の方々のように事故を風化させないためずっと訴え続ける方もいる。そうした方々を取材し続けなければいけないと反省し、長期継続的な報道を肝に銘じている。

 多谷委員 ダッカ事件(注5)やイナメナス事件(注6)では、被害者の実名や人となりは、事件に関心を持つ糸口にすぎない。読者が本当に知りたいのは、なぜ事件が起こったのか、なぜ日本人が狙われたのか、事件が起こっても逃げられたのではないか、将来も起こるのかという事件の背景事情だ。

 海外で起こったテロ事件の背景報道は、外国の事情に無関心な読者に関心を持たせる契機にもなる。

 ――イナメナス事件では政府が被害者の実名をすぐに発表せず、メディアが公表を求めたところ、そのことへの非難も出た。

 多谷委員 官邸が一手に情報を握りながら公表しなかったのは大問題だ。おかげで混乱した情報が流れた。犯人は被害者を人質としてマリ国境に連れてゆくと見られていただけに、人命救助の観点からも問題だ。

 河原記者 これまで取材に応じてくれた被害者は、自分が語ることが誰かの役に立つ、社会にとって意味があるならば、と話してくれた人が多いように感じる。一過性の報道や、型にはまった被害者物語でないならば考えてみる、ということではないか。

 信頼関係を築くには時間がかかる。一方で、何年かたってから記事を載せるには工夫が必要になる。世間の関心が薄れると難しい面はある。

 ――事件直後の被害者をめぐるストーリーの報道の意義をどう考えるか。

 会田委員 実名報道にしかない訴求力があり、記録としても意義がある。なぜ被害者らが嫌がり、やりにくくなっているのか。

 海外のテレビインタビューで顔を隠してしゃべる人は見ない。それが、健全な社会であり、日本が明治以来、何とかつくり出せないかと思ってきた、個人が自立した社会だ。我々は一人で立てるか、顔を出して社会に訴えられるか。人々に話してもらえる社会をどう作るかが課題だ。

 多谷委員 座間事件では被害者の詳細報道が背景として非常に重要だ。だが、テロで本当に知りたいのは、なぜ起きたかだ。被害者の実名報道は糸口として必要だが、人となりまで報じられるのに違和感を持つ遺族もいて、それが匿名希望に表れるのではないか。

 宍戸委員 事件報道で問題になるのは速報性と正確性のバランスだ。事件直後の被害者報道の場合、裏付けが十分でないのに速報の名の下にライフストーリーを書くことは相当気をつけるべきだ。

 不十分なまま報じるぐらいなら、本当のことがわかるまで報道を差し控える決断も本来あるべきだ。

 朝日新聞が事件後も継続的に取材しているのは承知している。だが読者に実感として伝わりにくい。

 節目の企画記事をウェブで載せる場合、関連記事を並べたり、検索したりできるようにしてほしい。

 全体のストーリーをもう一度まとめ直して読んでもらう記事を特設ページのような形で作って蓄積したらどうか。同種の事件が起きた時、なぜ再発したのか、あるいは被害拡大を防げたのか、といった教訓が得られる。組織ジャーナリズムが今後も存在感を発揮できる分野だろう。

 ――草津白根山の噴火(注7)で亡くなった自衛隊員の実名が遺族の意向を理由に発表されなかった。

 宍戸委員 大変不幸な事故だったが、報道機関は当局発表に頼らずに自衛隊員の実名を伝えた。公務中の災害で亡くなったのであり、国家権力の発動にかかわる問題。実名は、国民が国家権力のあり方について判断するために必要な情報であり、本来なら当局が積極的に発表すべきことだ。

 民間人は実名で、公務員は匿名で報道するならば、「一体何で実名報道をやるんだ」と問われても仕方ないだろう。

 政治報道では「政府首脳によれば」といった匿名化がなされている。権力者は実名で報道せず、たまたま事件に巻き込まれた被害者は実名で報道するというのでは説得力がない。

 会田委員 官が絡む問題は最も実名報道が要求される。我々は権力を監視するために実名が必要なんだと主張してきたわけだから。

 宍戸委員 実名報道は報道の自由とプライバシー保護との比較衡量だと話したが、いろいろな人がそれぞれの立場で比較衡量をすることで情報の流通と保護のバランスが図られていく。

 マスメディアが多元的である以上、判断が分かれるのはむしろ当たり前。何に悩み、どう判断したか、説明することが、健全な判断のための一つの資料になる。会田委員が言うような健全な社会、つまり自分の名前で意見を言う社会を作る出発点になるだろう。

 弁護士も比較衡量への参加を求めている。マスメディアはこうした人たちと対話すべきだ。しっかり判断できる弁護士が、被害者側の窓口になれば、取材の負担も軽減されるだろう。

 長谷川社会部長 懸念するのは、実名・匿名について丁寧に検討して例外的に匿名で報じたことが「匿名報道するならば実名発表しなくていいですね」という当局側の言い訳に使われることだ。報道機関としては被害者側に配慮しつつ、当局に「事実を隠すな」と求めることをバランスの中でやっていかざるをえない。だが、このままいくと発表自体も匿名になるのでは、という不安が募っている。

 宍戸委員 衡量を最後にするのはマスメディアだ。個人情報保護法制はマスメディアが衡量する役割を法的に認めている。前科などの要配慮個人情報(注8)についても、報道機関が一般に報道しているのであれば、強い保護を解除するというのが立法者の決断だった。その点は自信を持って「警察は監視される側であり、被害者の方と対話をして最後、責任をとるのはメディアだ」と捜査機関に訴えていくと同時に、役割を自負して責任をとることを世論に訴えて理解を得ていくことが必要だ。

 会田委員 実名・匿名問題の流れを見ると、当初は人々の権利を守るために議論していたが、いつの間にか情報を官が占有できるようなシステムになっている。新しい法律ができることで「1984年」(注9)的に大きな政府が情報を支配して人々に届かない。それが匿名社会問題だ。

 ツイッターで日本人ほど匿名を使う人はいないと言われる。人々も自分の名前を出さなくなっているし、官も出さなくなってきている。新聞も事なかれ主義で「書かなくていいだろう」みたいな社会が今、でき上がっている。実名問題の論議を通して何が問題なのかを探り当ててほしい。

 長典俊GM 実名報道は事件の社会的な意味という公共性、歴史としての記録性、報道の起点となる真実性から必要だと確認できた。反省すべきは、背景や社会的課題を掘り下げるという事件報道の本来のあり方と切り離して、実名報道の是非のみ議論してきたことだと気づかされた。

 理解されないのは社会のあり方が変わってきた点にもある。ネット社会の副作用への対応も必要だ。事件報道そのものの意味が実名報道を続けるうえでも問われている。

 <(注5)ダッカ事件> バングラデシュの首都ダッカで16年7月、途上国援助事業に携わる日本人7人を含む22人が武装グループに殺害されたテロ事件。現地の過激派組織が犯行声明を出した。日本政府は事件3日後に、犠牲者の氏名を公表した。

 <(注6)イナメナス事件> 13年1月、アルジェリアのイナメナスで天然ガス施設が武装勢力に襲われ、日揮(横浜市)の社員ら日本人10人を含む40人が死亡した。日本政府は当初、犠牲者名を公表しなかったが、報道機関が独自取材で報じる中、身元確認4日後に公表した。

 <(注7)草津白根山の噴火> 草津白根山(群馬県草津町)が今年1月に噴火、近くのスキー場で訓練中の陸上自衛隊員やスキー客ら計12人が死傷した。死亡した隊員名について防衛省が「家族の同意が得られた」として公表したのは2日後だった。

 <(注8)要配慮個人情報> 前科や信条、病歴など、差別や偏見につながらぬよう、取り扱いにとくに配慮を要するとされた個人情報。本人の同意なく集めたり使ったりするのを禁じられている。15年9月成立の改正個人情報保護法で規定された。報道や研究目的の取り扱いは一般の個人情報と同じく、義務規定が適用されない。

 <(注9)「1984年」> 英作家ジョージ・オーウェルの代表的SF小説。1949年出版。「戦争は平和」「自由は屈従」といったスローガンを掲げる国家が市民の日常生活を徹底して監視、言葉や思想をコントロールする全体主義的な社会を描いた。

 ◆PRC(Press and Human Rights Committee)

 報道と人権委員会 本社と朝日新聞出版の取材・報道で名誉毀損(きそん)などの人権問題が生じた場合に救済を図るため01年に発足した。社外委員3人で構成。当事者から事情を聴くなど審理して問題解決に努める。結果を見解の形でまとめ、必要に応じて公表する。紛争処理とは別に、報道をめぐる課題についても議論する。

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