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 朝日新聞社の「報道と人権委員会」(PRC)の今年度初会合が4月末、東京本社で開かれた。新任された3委員が、議論が再燃している被害者報道のあり方について事件報道に携わる本社出席者と意見を交わした。

 (司会=南井徹・報道と人権委員会事務局長)

 【新任の3委員】

 ■真の事実に迫る姿勢、今こそ重要 会田弘継・青山学院大教授(元共同通信社論説委員長)

 インターネットで拡散するフェイクニュースどころか、この国では公文書の改ざんや隠蔽(いんぺい)、政治家や官僚の言葉への信頼喪失で、政治や社会の基盤であるべき「事実」が混沌(こんとん)としたありさまになっています。

 「報道と人権」を考える時、今回議論した「実名・匿名問題」も、もちろん重要なテーマです。それは、この混沌の中からどのようにして再び「事実」を取り戻すかという、大きなテーマとも密接に関わるからです。

 政治や公権力の行使が確固とした事実に基づいて行われない社会で、人々の権利が守られることはあり得ません。歴史が教えるところです。

 そうした状況で民主主義が崩れそうになったとき、事実をしっかりと提示する役割を担っているのがジャーナリズムです。

 ここしばらく、新聞ジャーナリズムは事実よりも「意見」の提示の方に傾いていなかったかと、自省を込めて振り返っています。

 優れた論理で展開する意見も説得力を持ちますが、足で稼いでつかんだ事実には、もっと説得力があります。真の事実に迫るというジャーナリズムの原点に立ち戻ることが今ほど重要な時はありません。

 自身の記者経験を振り返りながら、読者や朝日新聞のみなさんと、ジャーナリズムが直面する課題を議論したいと思っています。

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 あいだ・ひろつぐ 51年生まれ。東京外語大学卒。青山学院大学地球社会共生学部教授。共同通信社でジュネーブ支局長、ワシントン支局長、論説委員長などを歴任。著書に「破綻(はたん)するアメリカ」(岩波書店)、「増補改訂版 追跡・アメリカの思想家たち」(中央公論新社)など。

 ■社会変化、マスメディアは敏感に 宍戸常寿・東京大大学院教授

 SNSの普及などで、新聞を始めとするマスメディアのあり方が、厳しく問われています。現在、私たちはネットで意見を発信したり、複数の報道を比べたりできます。これは、知る権利、表現の自由の量的拡大として歓迎すべきことです。他方、若い世代の「メディア離れ」が顕著になっています。自分に不利な報道を「フェイクニュース」と呼んで排斥する動きも世界的に見られます。

 多様な価値観や利益が共存する、生き生きとした民主主義社会のためには、良質のジャーナリズムが不可欠です。それは、従来のマスメディアのあり方をそのまま維持すべきだ、ということではありません。公正な報道を通じて知る権利によりよく奉仕するためにも、技術や社会の変化を敏感に捉えつつ、しなやかに自らを発展させることが求められます。

 マスメディアが信頼される源は高度な報道・取材倫理です。とりわけ可能な限り真実を追究すること、そして人権への尊重が欠かせませんが、今回議論した実名報道のように両者のギリギリの調整が必要な場面もあります。その実践的な調整は時代や社会の変化で変わりますし、メディアの個性にもよります。私も報道と人権委の委員として、また一人の読者として、記者の皆さんとともに悩み、考えたいと思います。

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 ししど・じょうじ 74年生まれ。東京大学卒。東大法学部教授(憲法・情報法)、東大新聞理事長。東京都立大法学部助教授、一橋大学法学部准教授などを経て現職。著書に「憲法 解釈論の応用と展開」(日本評論社)、「総点検 日本国憲法の70年」(共編著、岩波書店)など。

 ■事件の背景事情提示、新聞が最適 多谷千香子・法政大名誉教授(元旧ユーゴ国際刑事法廷判事)

 報道と人権の問題は、今日、大きな曲がり角に来ています。一つは報道されることによって平穏な生活を乱されるとして取材拒否や匿名要求が増え、それを支持する意見があることです。もう一つはTVのみならずインターネットでも早く簡単に情報が手に入るので、新聞に頼らない人が増えていることです。

 例えば今回の会議で討議された「実名・匿名報道」は、座間事件などについて犯罪被害者の顔写真や氏名をどのように報道すべきかの問題ですが、詳細な事件報道に巷(ちまた)から疑問の声が起こるとともに、誤報やデマも含めインターネット上に情報があふれました。

 座間事件など特異重大事件はもちろん、犯罪は全て、その背景にある社会が抱える問題が噴出して現実化したものです。犯罪報道は、単に日々生起する事件を知らせるだけが目的ではなく、背景にある社会問題を提示して考えるキッカケを提供し、さらに打開策を模索することについて読者たる国民に参加する動機を与えるためになされます。

 こうした論理的思考のよりどころとしては紙媒体の新聞が最も適しています。

 メディア批判や新聞離れの傾向は、のぞき見趣味的な報道内容と無縁ではないと思います。どうしたら読者の知る権利に真に応えられるかを真剣に考えたいと思います。

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 たや・ちかこ 46年生まれ。東京大学卒。法政大学名誉教授。東京地検検事、旧ユーゴ国際刑事裁判所判事、最高検検事、法政大学法学部国際政治学科教授(国際テロ)などを歴任。著書に「戦争犯罪と法」(岩波書店)、「アフガン・対テロ戦争の研究」(同)など。

 ■本社の報道姿勢 人物像描き、事件と向き合うため必要 久保田正・前ゼネラルマネジャー補佐

 朝日新聞社は今春、「事件の取材と報道」(注1)を改訂した。ゼネラルマネジャー(GM)補佐として取りまとめた立場から報告する。最初に議論したのは実名報道原則のあり方だ。きっかけは相模原のやまゆり園事件(注2)だった。

 この事件を機に被害者の実名がなぜ必要なのか、きちんと議論しておく必要があると考えた。

 実名報道には真実性と訴求力があり、権力監視のためにも必要だという認識は変わらない。ただ、そうした説明だけではもはや世間の理解を得るのは難しい。事件を担当するデスクを中心に、なぜ事件を報じるのか、事件報道の意義から考え直した。

 原因究明や責任追及も重要だが、究極の目的は安全・安心な社会の実現。同様の事件を二度と起こさないという再発防止のためだ。

 読者に、当事者の具体的な人物像を思い浮かべ、事件に向き合ってもらう。社会が抱える問題と自分の家族を重ね合わせる。自分の子がこんな目に遭ったら、という思いが再発防止策を考えるきっかけになり、ひいては世の中の安全・安心につながる。

 人物像を思い描くためには「Aさん」ではなく、実名が必要だ。

 事件によっては顔写真や詳しい人物紹介も必要だ。それで読者が共感して問題意識が醸成され、危機意識を共有する。実名には社会や行政組織を動かす力がある。実名報道は社会のために必要だということを今後も強く訴えていきたい。

 あわせて被害者も含めた当事者のプライバシーにどこまで踏み込むかを判断する目安として「公共性」という観点も採り入れた。

 そっとしておいてほしいという被害者や家族の気持ちに配慮しながらも、一方で社会に必要なことを伝えるのがメディアの役割だ。

 人権と報道をどう調整するか、目安として、事件が持つ公共性をしっかり見極め、判断したい。

 昨年1月の最高裁決定で示された6項目(注3)を判断基準にできないかと考えた。これまでも事件の重大性や当事者が公人か私人か、といった基準はあったが、人権に配慮してよりきめ細かく判断しようと考えている。

 それで十分だとも思っていない。被害者への配慮は今後も議論していく。例えば名前や顔写真を何度も掲載しないようにしたり、デジタル報道でも一定期間を経たら控えるようにしたりしている。

 関係者に多数のメディアが殺到するメディアスクラム(集団的過熱取材)の被害防止にも取り組んできたが、取材の蓄積を踏まえて記者研修などでしっかり教育していきたい。

 ■取材現場の現状 各社の対応ばらつき、悩んだ結果か 長谷川玲・東京社会部長

 報道各社は長く「実名報道が原則」という点で一致してきた。捜査当局が実名発表を控えたときに足並みをそろえて実名発表を求める基盤にもなっている。

 一方で、その原則に基づく報道のガイドラインと社会の捉え方との間にずれを感じることが多くなった。当事者側が容易にネットで発信できるためメディアの情報はすぐに相対化される。弁護士らの当事者支援も進み、ネットでの拡散を見越して予防的に「報道を控えてほしい」と求められる場合も増えた。旧来のガイドラインのままではどうしても想定を超えてしまう。

 神奈川・座間の事件はこうした状況を映し出したケースだ。発生直後から報道各社は被害者を実名で発表してほしいと当局に求め続けた。並行して各社は事件の背景を社会に伝えるために取材で被害者を特定し、人物像の情報収集を進めた。当局は被害者側が匿名を要望していると付言した上で実名を発表し、各社はほぼそろって実名と顔写真を掲載した。

 だが、その後の各社の対応にはばらつきが出た。すぐ匿名に切り替えたり、顔写真の掲載を一度きりにしたり、容疑者を再逮捕するたびに被害者名を出したり、あるいはネットと紙面とで実名と匿名を使い分けたり。各社がそれぞれ悩んだ結果と捉えている。

 当局は実名発表すべきで、報道も実名を原則とすべきだという考え方自体は、今回の事件でも各社とも同じだったと認識している。当事者側の要請に応じて自動的に匿名にすべきではないという構えも同様だ。ただ、対応のばらつきの幅を見ると、早晩、原則そのものを問い直す報道機関が出てくるのかとも思う。

 新聞やテレビが実名か匿名か選択に悩んでいる一方で、ネット上では報道機関以外の人が当事者の名前を割り出して実名や顔写真を発信している例がある。実名報道の意義と、報道される側への配慮を社会全体の課題として捉える必要も感じている。

 ■被害者側の現状 SNSの発達、二次被害拡大の恐れ 河原理子・東京社会部員

 犯罪被害者をめぐる問題を1990年代から見てきた。実名・匿名が再びクローズアップされた背景に、大きな環境の変化があると思う。

 一つ目はインターネット、特にSNSの発達だ。被害者が自ら発信したり、情報を集めたりできることはプラスだが、マイナスとして、二次的に受ける被害が拡大する恐れがある。「何を言われるかわからない」「さらされる」という恐怖感が強くなっている。

 匿名報道でも、少年事件の加害者の名前、学校や家族状況、自宅など、真偽不明の情報があっという間に流れる。被害者も同様だし、実名があれば、誰でも名前で検索して関連情報を集められる。セクハラ問題で見られるような被害者バッシングも多い。容姿や服装に対するコメント、育て方の問題だといった批判など、情報の渦巻きが、速く大きくなる。いま、被害者側が「報道被害」というときは、ネット空間で起きることも含めた総体として捉えているのではないか。

 報じる側も、ネット上に出した情報は紙面と同じようにはコントロールできない。課題が生じている。

 二つ目は、犯罪被害者支援の進展。この20年でぐんと手厚くなった。警察や検察、さらに弁護士会の被害者支援が定着して、弁護士が被害者の代理人としてつくケースが増えてきた。

 刑事裁判に被害者が参加する制度(注4)が2008年に始まり、被害者と弁護士の接触が増えたし、地域によっては警察と弁護士会との連携も進んで、事件後早々に弁護士が被害者の報道対応をする。こうした変化を報道側は十分に認識していないのではないか。

 報道側でも、集団的過熱取材については、日本新聞協会などが01年に対応する仕組みを作った。一方、実名の問題は、宿題として残された。

 その後、警察発表をめぐる議論が起きた際も、被害者側は匿名発表を求め、報道側は実名原則を主張。結局「個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮する」ことになった。

 当時から、被害者側からは「名前や顔も出して訴えたら力があることは知っているし、そうできる人はすればよい。だが、なぜ嫌だという人まで出す必要があるのか」という意見が出ていた。

 座間事件の後に日本弁護士連合会が出した会長談話は、被害者や遺族には「自己に関する情報を適切にコントロールする権利としてのプライバシー権」があるとして、意思を尊重するよう報道機関に求めている。1987年の「報道と人権に関する宣言」とは、言い回しが変わっている。

 <(注1)「事件の取材と報道」> 朝日新聞の事件報道の指針。事件報道の意義や役割を踏まえ、何をどこまで報道するかの考え方を示し、被害者への配慮、容疑者や被告を犯人視しない報道の実践を強調している。

 犯罪被害者や少年事件の弁護人、精神障害者の家族らを招いて約1年間にわたり議論を重ね、04年に公表した。社会の動きに合わせて改訂を進め、裁判員制度の導入をひかえた09年3月には、情報の出どころの明示などを盛り込んだ。最新版はネット時代の事件報道として、情報の真偽の見極めに細心の注意を払うことなどを採り入れた。

 <(注2)やまゆり園事件> 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で16年7月、入所者19人が殺害され、職員を含む27人が負傷。元職員の男が殺人罪などで起訴された。神奈川県警は遺族の要望などを理由に死者の氏名などを非公表としている。

 <(注3)最高裁決定6項目> グーグルの検索結果の削除を求めた男性の申し立てに対し、最高裁は17年に示した決定で、プライバシーを公開されない利益が、検索サイトの表現の自由と比べて明らかに優越する時に削除が認められると判断した。考慮すべき要素として(1)事実の性質や内容(2)公表による被害の程度(3)その人の社会的地位や影響力(4)記事などの目的や意義(5)掲載時の社会的状況とその後の変化(6)記事などで事実を書く必要性――を挙げた。

 <(注4)被害者参加制度> 被害者や遺族が刑事裁判の手続きに参加できる制度。08年に始まった。裁判所が許可した場合、傍聴席ではなく、検察官側に確保された席で審理を聞ける。制度導入前はできなかった被告への直接質問が可能になり、被告に科す刑の重さについても意見を述べられる。

 (13面に続く)

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