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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 磐城(福島)の監督、須永憲史(76)が就任3年目を迎えた1971(昭和46)年。地元、福島県いわき市にあった最大規模の炭鉱が閉山した。

 閉山を決めた常磐炭礦(じょうばんたんこう)(現常磐興産)は1884(明治17)年、様々な企業設立に携わり、「日本の資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一らによって、前身が設立された。

 市発行の「いわき市史・別巻 常磐炭田史」によると、いわき市を中心とする常磐炭田はかつて、全国の出炭量の約1割を占め、首都圏を中心に供給された。しかし、1960年代のエネルギー革命で、石炭は安価な石油に取って代わられ、常磐炭田でも炭鉱閉山が相次いだ。常磐炭礦も71年春、大規模閉山で5千人近くを解雇した。勤めていた須永や選手の父親らは、離職を余儀なくされた。

 逆境の中、須永が監督就任1年目に入学した部員が、最後の夏を迎える。

 磐城は前年の70年、甲子園で初戦敗退。磐城は目標を夏の大会に絞り、福島大会が始まる1カ月前まで厳しい練習を重ねた。そして、緻密(ちみつ)な野球をめざす須永によって、複雑なサインを幾つも覚えた。「バントのサインだけで10種類ぐらいあった。監督のサインは長い、と言われたこともありました」と須永は言う。

 須永はさらに、平常心で試合に臨めるよう、試合前には大きな紙に対戦校の選手名を記し、身長や体重、癖を覚えさせた。中堅手だった宗像治(64)は「対戦経験がなくても、相手がどんなチームかイメージできるようになるまで、たたき込まれた」と振り返る。

 二塁手の舟木正己(64)も「データ収集が難しい時代で、新聞や雑誌から情報を集めていた。知らないことから来る相手への恐怖感や不安感を払拭(ふっしょく)させようとしたのだろう」と話す。

 努力は夏に結実。福島大会5試合と東北大会2試合を計5失点の堅守で勝ち抜く。甲子園でも計4試合で失点1と、隙のない野球を見せた。(五十嵐聖士郎)

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