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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 「他校が体力づくりに懸命の真冬でも、投げ、打ち、ノックを受ける。春先は選手が疲労、負けがこむ。しかし夏、無休練習の効果が一挙に現れる」

 1971(昭和46)年の第53回全国高校野球選手権大会を前に朝日新聞は、猛練習を重ねて2年連続出場を果たした磐城(福島)を、そう紹介した。

 磐城の正選手の平均身長は169センチ。「ちびっ子チーム」と呼ばれた。エースの田村隆寿(66)は165センチと、出場30校のエースで最も小さかった。監督の須永憲史(76)は対戦相手の研究に力を入れ、戦略を練った。

 当時、必勝法を統計的な観点から編み出そうとした人物がいる。昨夏の第99回大会で8強に進んだ三本松(香川)でかつて部長を務めた六車(むぐるま)久行教諭(故人)だ。研究結果が、日本数学教育学会(東京)の66年の総会特集号に掲載されている。六車は直近8年間の356試合を分析した上で、「初球攻撃理論」を提唱した。

 それによると、ボールカウント別では0―0からの安打が最も多く質もいい。第1ストライクから打って出れば、たいてい安打が生まれる――。

 池田(徳島)を率い、春夏の甲子園に14回出場した蔦(つた)文也(1923~2001)は、六車理論の実践者だ。著書「攻めダルマの教育論」で、蔦が信条とする初球攻撃の根拠に、六車の研究結果を挙げている。

 六車は、選手の平均身長や体重、過去の甲子園出場回数などから、甲子園での勝利校の予想もしていた。ところが、その六車の勝敗予想を磐城は覆した。

 磐城の初戦の相手は、4年連続出場の日大一(東京)。正選手の平均身長は175センチで、エースは後にプロ野球東映(現日本ハム)に入る速球派の保坂英二(64)。

 六車が「東の横綱」と評した日大一との試合前、須永は情報をかき集めた。須永は言う。「非力なチームでしたが、努力と研究は負けなかった。それが磐城の強みでした」(五十嵐聖士郎)

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