[PR]

 ■ありがとう 夏100回 これからも

 優勝候補と目された日大一(東京)を初戦で破った磐城(福島)は波に乗る。

 対戦校を徹底研究し、続く静岡学園を5安打完封し、3―0。準決勝の郡山(奈良)戦は、相手投手を中盤以降に攻略して4―0。1971(昭和46)年の第53回全国高校野球選手権大会の決勝に上りつめた。

 「あれよあれよという間に、勝ち上がっていた」と二塁手の舟木正己(64)。想像もしなかった快進撃に、選手らは戸惑いすら覚えていた。決勝前日の宿舎では「明日はいい試合をして、負ける方がいいのでは」と言う選手もいたという。

 決勝の相手は、創部6年目で初出場の桐蔭学園(神奈川)。4番打者の土屋恵三郎(64)は「桐蔭の一塁側アルプス以外、皆が磐城を応援する異様な雰囲気だった」と振り返る。

 互いに本塁を踏ませない投手戦は七回、球場内の熱気が一気に上がる。両チームで初の長打となる三塁打を土屋が放ち、さらに左中間に打球が飛んだ。中堅手の宗像治(64)は沸き立つ歓声を耳にしながら、「参ったなあ」と後方にはねるボールを追いかけた。本塁を踏んだ土屋は、両手を上げて喜んだ。

 甲子園で最初で最後の磐城の失点だった。降り出した雨の中、磐城は最終回に2死三塁と懸命に追った。しかし、最後の打者のファウルフライを土屋がつかみ、0―1で終わった。

 土屋は「客席からの『捕るな、捕るな』という声が今も耳に残っている」と言う。土屋はその後、母校の監督を2013年まで約30年間務め、春夏の甲子園に計10回導いた。現在は同じ神奈川の星槎(せいさ)国際湘南の監督。磐城戦のように1点を大事に守り勝つ野球を、激戦区の神奈川で教えている。

 決勝後の表彰式。桐蔭学園に負けない大きな拍手が、磐城に送られた。甲子園を離れる際、磐城の選手を乗せたバスは観客に囲まれ、しばらく動けなかったという。磐城の凱旋(がいせん)を、大勢の地元民が待っていた。(五十嵐聖士郎)

こんなニュースも