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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1960年代、各地で女子マネジャーが誕生した。

 東京で女子マネを務めた三浦静加(65)は、69(昭和44)年に四商に入学。男子の少ない商業高校で野球部は当時、東京大会で3、4回戦止まり。それでも、三浦は甲子園を目指した。

 「男子に負けない体格で、いったん決めたら曲げない性格だった」という三浦。選手らを叱咤(しった)し、後輩からは「怖い先輩」と恐れられた。野球部強化のために苦労をいとわなかった。練習の手伝いだけでなく、部費を稼ぐためにアルバイトもした。

 物おじすることなく、強豪校に練習試合を申し込んだ。「女子マネからの電話は珍しかったようで、相手の監督が喜んで受けてくれた」。そうした後押しを受け、三浦が3年の時、四商は6回戦まで進んだ。

 大阪には三浦より2年早くマネジャーになった女子がいた。

 大阪の扇町商(現扇町総合)に67年に入学した角川和恵(66)は、野球好きの父の影響でマネジャーを志願した。扇町商は選抜大会に40、51年の2度出場している。過去に女子マネはおらず、入部が許されたのは申し込んでから1週間後だった。

 練習試合を組むのが角川の役割。通話料の10円玉を何枚も用意し、校内の公衆電話のダイヤルを回して、他校に連絡をとった。週末は試合に同行しスコアをつけた。「商業高校なのにそろばんや簿記の試験を受ける時間がなかった」と言う。

 角川が3年の夏、大阪大会でそれまで2年連続初戦負けだった扇町商は二つ勝ち進み、結果を残した。

 角川は高校卒業後、商社勤務をへて、81年から大阪府高校野球連盟に勤めている。球児たちは同級生から弟の世代になり、息子、孫の世代になった。「周りからは『いつまでもミーハーやな』と言われるけど、好きなことに関わり続けられるのは幸せ。毎年、一生懸命な球児の姿に若さをもらっている」

 角川はいま第100回の南北大阪大会に向けた準備で大忙しだ。(五十嵐聖士郎)

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