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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 東京の商業高校、四商に1969(昭和44)年に入学し、女子マネジャーを務めた三浦静加(65)。目指す甲子園を一目見たい一心で、高校3年の71年春、選抜出場校の宿舎すべてに手紙を出したことがあった。

 住み込みで手伝いをさせてほしい。試合を見られるのであれば、お給料はいりません――。

 すると、ある宿舎から返事が来た。親の承諾書を自ら書いて送り、甲子園へと向かった。

 宿舎に2週間寝泊まりし、掃除や食事の手伝いをした。同宿の出場校の監督と親しくなり、甲子園の土を入れた袋をもらった。さらさらで真っ黒の土。聖地の土を三浦は手作りのお守りに入れ、71年夏の東京大会前に四商の選手に配ったという。

 三浦の意気に選手が応えた。69年は2回戦、70年は4回戦敗退だったが、最後の夏は6回戦まで進み、16強入りした。ベンチに入れない三浦はそれらの試合をスタンドから見ていた。

 「高校野球を愛する気持ちに男も女も関係ない。女子マネのベンチ入りを求めて、主催者側に手紙を書いたこともあった」と振り返る。

 三浦は卒業後、衣料品会社を立ち上げ、水兵のキャラクターをデザインした「セーラーズ」のトレーナーなどを販売する。80年代の人気アイドルグループ「おニャン子クラブ」などが愛用し、売り上げを伸ばした。「生徒会での予算取りや他校との交渉など、マネジャー時代に商売の基本が身についた」

 三浦は母校に硬式球を寄付したり、女子野球チームを立ち上げたりと、野球に関わり続けた。昨年は脳性まひの娘(19)を育てた体験を福祉の施策に生かしたいと、都議選にも立候補した。落選はしたものの、思い立ったら行動に移す性格は当時と変わらない。

 東京の大会では95年、男女問わず記録員1人のベンチ入りが認められた。翌96年には、夏の甲子園に初めて女子部員が記録員としてベンチ入りした。三浦の最後の夏から25年後のことだった。(五十嵐聖士郎)

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