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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 桑田真澄と清原和博の「KKコンビ」を擁したPL学園(大阪)は全国高校野球選手権大会で1983(昭和58)年から3年連続、甲子園の決勝へと進む。さらに87(昭和62)年には史上4校目の春夏連覇を果たした。この強豪を苦しめた元投手が北海道釧路市にいる。

 群馬県出身で、現在JR北海道に勤める小島英司(48)。国内外の観光客を道東方面に誘致する営業販売を担当している。

 小島は5歳年上の兄の影響で野球を始め、小学時代から投手。ただ中学の野球部は盛んではなく、甲子園は夢のような場所だった。

 当時、群馬の野球少年がヒーローと仰ぐ人物がいた。78年の第50回選抜大会で走者を1人も許さない「完全試合」を遂げた前橋の投手松本稔(57)だ。

 小島が中学の時に参加した合同練習会に、その松本が公立の中央(現中央中等)の監督になって来ていた。小島は、若くて穏やかな松本にひかれた。

 そして、小島は86年に中央に進学。松本が指導する練習方法は、短時間で効率的だった。週休1日で、練習が長くなると休憩が設けられた。小島の投球練習も一日100球を超えることはなく、いわゆる「根性野球」とは無縁だった。

 「監督からは『野球だけで、ご飯を食べられるわけではないので勉強して下さい』と言われていた。これから野球を頑張ろうと思っていたので、少しきょとんとした覚えがあります」

 87年、中央は群馬大会を勝ち進む。2年の小島は全5試合に登板。制球力を発揮して計43回を奪三振36と与四死球4。打線は3試合で逆転勝ちと、粘り強さもあった。監督の松本は「強豪校は練習のしすぎで、選手が消耗していたり、心理的に飽きていたりしていて、付け入る隙があった」と振り返る。

 甲子園初出場を決めた中央の1回戦の相手はPL学園。のちにプロで活躍する立浪和義や片岡篤史、野村弘樹らがおり、この年の春の選抜大会で優勝していた。(五十嵐聖士郎)

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