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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 阪神甲子園球場の外野の芝生から熱気が立ちのぼっていた。1990(平成2)年8月8日、第72回全国高校野球選手権大会の開幕試合が始まった。都城(みやこのじょう)(宮崎)の中堅手、木山雄二(46)はけがをした右手に特別仕様のグラブをはめて、そこに立った。

 木山は畜産の町で知られる宮崎県都城市の出身。見渡す限り緑が広がる土地で、いまも両親が子牛を育てて出荷している。実家には、地元の和牛品評会で「チャンピオン牛」になったことを表彰する銀色のトロフィーが、いくつも飾られている。木山の父、松雄(76)は「チャンピオン牛は都城の競りに出た1千頭以上の中から1頭選ばれる」と教えてくれた。

 事故はそんな畜産農家で起きた。木山は3歳の時、農作業中の母えい子(70)のまねをして、牛のえさのわらを切る裁断機に右手を入れてしまった。裁断機の電源は事前に切っていたが、刃が空回りし続けていたのだという。

 このけがで、木山は右手の人さし指と中指、薬指の3本の第2関節から先を失った。

 畜産農家ゆえ、木山は小学校高学年になると両親を手伝った。ちょうど83年に任天堂「ファミリーコンピュータ」が発売され、子どもたちはゲームに興じたが、木山は違った。

 「親と顔を合わせれば手伝いを命じられた。農家のさがでしょうね。ファミコンを持っていた友達がうらやましかった」と話す。

 巨人ファンの松雄に影響され、木山は小学4年で野球を始めた。えい子は「親がけがをさせてしまったんですけど、私たちを困らせるようなことは一切言いませんでした」と話す。

 指の一部を失った木山は、グラブの内側に3本の短い指を固定する止め革を特別に付けてプレーした。

 指のことで心ない言葉をかけられたこともあった。木山は見返そうと畜産の手伝いで腕力を鍛えながら、甲子園出場をたぐり寄せた。(五十嵐聖士郎)

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