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 沖縄はきょう、「慰霊の日」を迎える。

 73年前、沖縄戦は住民を巻きこむ激戦となり、日米両国で約20万人が死亡、県民の4人に1人が犠牲になった。命をつないだ人々も、その後の米軍占領下で過酷な生活を強いられた。

 そんな沖縄の苦悩をわきまえぬ出来事が、また起きた。

 米海兵隊トップのネラー総司令官の発言に対し、宜野湾市議会は6月定例会で「事実に反し、沖縄の歴史に対する無理解からくるもの」との抗議決議を全会一致で可決した。ネラー氏は先月初め、米国防総省での記者会見でこう述べたという。

 「普天間飛行場の建設当初の写真を見ると、数キロ以内に住む人はいなかった。今は市街地がフェンスのすぐ近くに広がる」

 3年前には、自民党の勉強会で、安倍首相に近い作家の百田尚樹氏が「もともとは田んぼの中にあった」と講演している。

 どちらも明らかな誤りだ。

 普天間飛行場は他の多くの基地同様、役場や学校、住宅などがあった土地を米軍が奪って造ったものだ。現にフェンスの中には先祖伝来の墓も残る。

 事実に基づかず、基地の存在を正当化し、住民が墜落の恐怖や騒音被害に苦しむのは自業自得であるかのように言い放つ。

 沖縄に対するこの無知・無理解が、長年にわたって過重な負担をこの島に押しつけ、いままた、辺野古の海を埋め立てて新たに基地を建設しようという動きの根底にある。

 宜野湾市立博物館は来月2日まで、普天間飛行場を含む地域の歴史をたどる写真展を開く。

 村のシンボルの松並木を伐採する米兵。滑走路を造成する大型重機――。千木良(ちぎら)芳範館長は「地域がどういう場所だったのかを、子どもたちに伝えたい。生まれた時から目の前にフェンスがある暮らしをしてきたかもしれないが、それが当たり前だと思われては困る」と語る。

 集団自決の悲劇があった地であることを知らず、県内の若者らが読谷村(よみたんそん)のガマ(洞窟)を荒らした事件は、苦難の歩みを継承していくことの難しさを、沖縄の人々にも突きつけた。

 翁長知事はこの春、「沖縄には歴史があり、それを理解して今の状況を見ないと基地問題は解決しない」と述べた。「沖縄の気持ちに寄り添う」と言いながら、辺野古の工事を強行し、くり返される米軍の事件・事故にも有効な手立てを打てない政権は、この言葉をどう聞くか。

 慰霊の日を、事実に向きあい、知事がいう「理解」を少しでも深める契機としたい。

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