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 文化庁が創設されて、今月でちょうど50年になる。

 存在感のある役所とはお世辞にも言いがたい。だが、文化財の指定や保護、文化芸術活動への助成などに地道に取り組んできた。芸術家を海外に派遣して研修させるプログラムには、この15年間でのべ130人超が参加し、その成果はさまざまな形で社会に還元されている。

 京都への本格移転を控えるその文化庁に、いま、かつてない追い風が吹く。

 政府は昨年末、文化を「経済成長を加速化する原動力」と位置づける「文化経済戦略」を策定。ことし3月には文化庁の機能強化などを盛り込んだ「基本計画」を閣議決定した。

 文化に熱い目が注がれるのは悪い話ではない。だが前面に出ているのは、文化を材料に観光客を呼び込んだり、コンテンツを輸出したりしてお金を得ようという政権の思惑だ。文化産業が生み出す国内総生産を文化GDPと名づけ、25年までに18兆円(15年は約9兆円)にすると意気込む。文化庁も近年「かせぐ文化」をアピールする。

 言葉はおどるが、イメージ先行の印象はぬぐえない。なにより、文化はそれ自体に価値があること、未来に引き継ぐべき大切な社会資本であるということを見失ってはならない。長い時間をかけて守り伝えてきたものを、近視眼的な利益のために損ねてしまったなら、「活用」もおぼつかなくなる。

 文化庁は、「風」を生かしつつ、しかし前のめりになることなく、文化の本質的な意義と理念を発信しながら、地に足のついた施策を進めてもらいたい。

 全職員約230人のうち、研究蓄積のある専門職が約3割を占める。殻に閉じこもり、全体が見えなくなりがちだとの批判もあるが、「文化とは何か」が問われる時代だからこそ、プロの知見は重要だ。その力をよりいっそう発揮できる環境を整えることが、長官をはじめとする管理部門に求められる。

 文化や伝統はしばしば偏狭なナショナリズムと結びつき、自国礼賛や国威発揚の道具に使われる。先の文化経済戦略にも、「世界に冠たる国家ブランドを確立する」との一節がある。

 初代の文化庁長官を務めた作家の今日出海氏は、就任前の取材に「文化というのは、政府がひとつの方向を押しつけるものではない」と答えている。今もかみしめるべき指摘だ。

 文化と国家の関係はいかにあるべきか。「50年」の節目を機に、この根源的な問いについても、議論を深めたい。

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