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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1990(平成2)年夏、都城(宮崎)の3年になった木山雄二(46)は宮崎大会に臨んだ。畜産農家に生まれ、幼い頃のけがで右手の3本の指を失ったが、打線の中軸を任された。

 「勝ち進むにつれ、背番号のない部員から、『甲子園に行ってくれ』との声が大きくなった。応援してくれていると思うと、力が入った」と木山。

 宮崎大会決勝の延岡学園戦。2点先行されて迎えた六回、5番の木山が同点に追いつく適時二塁打を放つ。さらに後続の二塁打で木山も生還し、逆転に成功。試合の主導権を握り、6年ぶりの甲子園出場をつかんだ。都城は宮崎大会5試合で打率4割、計38得点を挙げ、木山も5打点と活躍した。

 第72回全国高校野球選手権大会の初戦の相手は、都城と同じ出場6度目の成田(千葉)。木山は、3本の短い指を固定する止め革を付けたグラブをはめて中堅の守りにつき、5番を打った。アルプスにいた父、松雄(76)は「何とか打ってくれと祈るような気持ちで、打席をまともに見られなかった」。

 しかし、全3打席で木山のバットは快音を残せず、2―6で敗れた。「苦手な左投手とはいえ、もう少し頑張れればよかった。ただ甲子園に出るのは、プロ選手になるのとは違って自分一人の努力だけではかなわない。そこに価値があった」

 都城が敗れた8月8日、朝日新聞夕刊1面(大阪本社版)には、クウェート侵攻したイラクに対抗し、米国がサウジアラビア派兵を決めたとの記事。前年の89年秋、東西冷戦の象徴「ベルリンの壁」が崩壊し、91年には湾岸戦争が始まる。世界情勢が変動する中での大会だった。

 この大会で同じく初戦負けした愛工大名電(愛知)に、2年生の左翼手がいた。3番打者で4打数1安打。試合後、「一から出直したい」と語った鈴木一朗(イチロー)は今、米大リーグ・マリナーズにいる。一方、木山は試合後に語った言葉が、自身の進む道を決めるきっかけになった。

 (五十嵐聖士郎)

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