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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1990(平成2)年の第72回全国高校野球選手権大会で敗れた都城(宮崎)の木山雄二(46)は初戦で成田(千葉)に負けた後、こう語った。

 「野球は今日でおしまい。将来は体の不自由な人を助けるため、看護師になるつもりです」

 木山は幼い頃、飼料のわらを切る裁断機に右手を巻き込まれて3本の指を失っていた。その記事を見た大阪の大学関係者から連絡があり、大阪の看護学校を紹介された。木山は朝日新聞販売所で、新聞奨学生をしながら学校に通った。現在、熊本県人吉市の愛生会外山病院に看護師として勤めている。

 「実家と同じ農業関係に進むか迷っていたが、記事を見て連絡してくれたのがきっかけで、進路を決めた」と言う。

 実家の両親は今も宮崎県都城市で子牛を生産する。木山が都城を卒業した91年、牛肉の輸入自由化で、安価な輸入牛肉が流通するようになった。自由化前、22万戸あった肉用牛飼養農家は急減し、今は約5万戸にとどまる。

 木山の実家周辺でも、畜産農家は半減した。近年は家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)が心配の種だ。そして後継ぎ問題。木山の妹と弟の2人も実家を離れている。父の松雄(76)は「自分もいつまでできるかわからない」と話す。

 松雄の孫にあたる木山の4人の子どもが野球を始める年齢になった。高校1年の長女果咲(みさき)(15)は中学までソフトボール部で活動。小学5年の次女果歩(かほ)(10)は今春から野球部で男子と一緒にプレーしている。父親の後を追うように白球を追いかける娘について、うれしそうに語る木山は今も勤務先のソフトボールチームに加わる。

 けがを乗り越え野球を続けてきたことについて、「指がある状態で野球をしたら、もっと活躍できたのかなと思うこともある。でも、なかったからこそ頑張れたのかもしれない」と話す。

 同じような思いを持つ男性がいる。右腕を失った投手志望の少年が91年春、日大山形の門をたたく。(五十嵐聖士郎)

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