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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 都城(宮崎)の木山雄二(46)が卒業した1991(平成3)年、幼い頃に農具の裁断機で大けがをした少年が、強豪の日大山形に入った。サクランボやリンゴの栽培が盛んな山形県東根市で育った板垣政之(42)。祖父母が農業をし、父親は電機部品会社を経営していた。

 板垣は5歳の時、わらを切る裁断機に右腕を巻き込まれて、右ひじから先を失った。ただ、体格には恵まれ、川や野原で遊んだ。小学校の相撲大会で左腕だけで上位に入り、市の大会にも出場するほどだった。

 小学校の担任教諭だった笹原幸悦(こうえつ)(63)は板垣の両親の意向もあり、他の児童と同じように接した。縄跳びは、板垣の上着の右袖に縄の片端を結んで、挑戦させた。掃除で使う雑巾は、水道の蛇口に雑巾を巻き付けて片手で絞らせた。

 板垣は「片腕だからといってできないことはない。あきらめずに工夫することの大切さを先生に教えてもらった」と言う。

 板垣は、小学4年から皆と同じようにソフトボールを始めた。投手として目立ちたくて、立てた空き缶に左手でボールを投げる練習を繰り返した。試合では、グラブを足元のマウンドに置いて投球した。6年になると、エースで中軸を任されるようになった。

 3年前に定年退職した笹原は、「ハンディがあるからできないだろうと決めつけてはいけない、ということを板垣君に教えてもらった。ただ、強豪の高校にまで進んで野球を続けるとは思わなかった」と振り返る。

 板垣は地元中学でも野球を続けようと、野球部入部を希望した。しかし、部の先輩には諭されたという。「グラブで捕球できないと野球部ではやっていけないと、当時できたばかりだったサッカー部に入るよう勧められた」

 板垣の心に火がついた。ちょうどこの頃、米国で同じ境遇の野球選手が活躍する姿をテレビで見た。生まれながら右手首から先がないジム・アボット投手だった。(五十嵐聖士郎)

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