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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 けがで右ひじから先を失った日大山形の板垣政之(42)が3年になった1993(平成5)年、第75回全国高校野球選手権大会に日大山形が2年連続の出場を果たす。しかし、マウンドに板垣の姿はなかった。投手の生命線である肩を壊していた。

 ベンチ入り選手15人からは漏れたが、夢の甲子園で思い出を一つ作った。開幕前の8月5日朝、日大山形の甲子園練習に板垣がいた。約5分間の打撃練習でマウンドに立った。右脇にグラブを挟み、左手でボールを投じた。捕手の背後のバックネットが遠く感じたこと。ファウルゾーンが広く見えたこと。無我夢中で投げたこと――。今でも当時の情景は忘れられない。

 日大山形はこの大会で、大分工に競り勝ち、3回戦の春日部共栄(埼玉)戦で延長サヨナラで敗退した。板垣の同級生のほとんどがこの日まで、途中でやめることなく高校野球を続けた。当時監督の渋谷良弥(よしや)(71)は、「板垣の一生懸命な姿が、周囲に頑張らなくちゃいけないと思わせた」と懐かしむ。

 板垣も「同級生が思いやりをもって接してくれた。その支えがあったから、肩を壊して腐りそうになってもやり遂げられた」と話す。

 板垣は現在、新潟県で電子機器製造会社「アイテックス」の社長。主に銀行のATMの組み立てを請け負う。カード決済の広がりで近ごろは海外向けの仕事が増えているという。周囲に支えられた高校時代の恩返しもあり、障害者雇用に力を入れる。

 社長室には自宅で保管しきれない野球選手のカードが積まれている。「野球選手って、めっちゃ格好いい」と今も憧れを持ち続ける。障害者の野球チームを立ち上げてプレーを続ける板垣の気がかりは、外で野球をして遊ぶ子どもたちを昔ほど多く見かけなくなったことだ。

 板垣の最後の夏の直前、93年5月にJリーグが開幕。社会の成熟とともに、野球だけでなく、様々なスポーツへの関心が広がっていった。(五十嵐聖士郎)

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