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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 《第13章》

 122―0。

 高校野球史に残る記録的な試合がある。1998(平成10)年7月18日の第80回全国高校野球選手権記念青森大会。一方的な試合で、初回の39得点を皮切りに、コールドが成立する七回まで計122点。試合時間は3時間47分に及んだ。

 勝者は、甲子園に出場経験がある東奥義塾。敗者は、少子化でのちに高校再編の対象となった深浦(現木造〈きづくり〉深浦)。深浦の1年生捕手だった松岡拓司(35)は思い出すたび、暑苦しさがよみがえる。あの試合では計86本の安打を打たれた。

 「打たれるたびにキャッチャーマスクを外して足元に置くと、白線の粉がつくんです。マスクを着けると、それがあごに擦れて、あつく感じたんです」

 98年の青森大会の参加校は、前年より1校増の69校。当時、地方大会の参加校数は2002、03年(ともに4163校)にピークを迎えるまで、増加傾向にあった。その半面、対戦カードによっては大きく差がつくことがあった。

 深浦は日本海に面する青森県深浦町にある。過疎、少子化が進み、「船を持つ漁師などは別ですが、仕事がたくさんある町ではないんです」と松岡は言う。松岡は町出身の両親のもとに生まれた。父親は出稼ぎの大工で、家に帰ってくるのは盆と正月だけだったという。

 通っていた町内の中学野球部は強く、松岡は記録員を務めることが多かった。同級生の多くは町内唯一の高校の深浦ではなく、町外へと進学した。「深浦に進んだ同級生のうち、運動のできる人はサッカー部に入った。野球部は未経験者が多く投手がいなかった」と振り返る。

 野球部には、松岡ら1年生6人が入部した。硬式球に慣れるので精いっぱいだった夏、計10人の部員で青森大会に臨んだ。経験者の松岡は、野球のルールに詳しいという理由で捕手に起用された。そして、松岡が「相手に謝りたい」と振り返る長い試合が始まった。

 (五十嵐聖士郎)

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