[PR]

 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1998(平成10)年の青森大会で、東奥義塾に0―122で大敗した深浦(現木造深浦)。東奥義塾は初回、打者42人が27安打を放ち39点を挙げた。

 深浦の1年生捕手、松岡拓司(35)は「次こそ打ち損じてくれ」と願い続けた。盗塁はされるがままで、投球を何度もそらした。ただ両校とも真剣そのものだった。「点差が開いても、相手選手は笑ったりふざけたりすることなく、長打狙いで大振りすると怒られていた。こっちも本気でやろうと思った」と松岡。

 当時、青森大会のコールド規定は七回以降。93点差で五回を終えたグラウンド整備中、監督の工藤慶憲(ひろのり)(45)は選手に投げかけた。試合をやめるか――。工藤は試合続行でけが人が出ることを心配していた。しかし、「応援してくれる人がいる」と声があがった。

 試合は続けられ、七回コールドで終了。深浦は相手打線に86安打、76盗塁を許した。翌日、試合結果が報じられると「そこまでやり込める必要があったのか」などと議論を呼んだ。

 松岡は「疲れ果てるまで懸命にやってくれた東奥義塾の選手を悪く言う人もいて、申し訳ないとすら思う」と言う。長くて短い夏の大会が終わると、深浦の練習は長く、厳しくなった。青森大会で3年間勝てずに終わったが、あの試合の1年生6人は欠けることなく続けたという。

 松岡は秋田大学を経て、青森県弘前市の精密機器会社に勤務する。現在、県教委に勤める工藤は「3年間やり遂げたうえ、あの試合を自分なりに振り返れるようにもなった。思った以上に強い子たちだった」と思う。

 深浦の町は過疎が進み、1万2千人だった人口は20年をへて8千人に減った。65歳以上の割合は4割超。少子化で母校は2007年、約40キロ離れた青森県つがる市の木造高校の深浦校舎となった。

 翌99年の富山大会。ここでも大差の試合があった。大敗した元エースはいま、「恥をかかされて良かった」と語る。(五十嵐聖士郎)

こんなニュースも