[PR]

 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1999(平成11)年、第81回全国高校野球選手権富山大会で、3―52という大差の試合があった。

 雨空で、蒸す日だった。有磯(ありそ)の2年生投手、栗(くり)崇行(35)は初めて夏の大会に出場し、強豪の高岡商を相手に先発した。試合前の気合は十分だったが、相手打線の気迫に圧倒されて、ストライクが入らなかった。

 思い切り投げても力を抜いても制球が利かず、何人もの走者が本塁を踏む。逃げ出したくなった栗は、ベンチにいた監督の守山栄(72)に向かって、両手でバツ印を作った。しかし、守山は手で追い払うしぐさを見せ、交代を求める栗を拒んだ。

 「スリーアウトをどうやって取ったのか覚えていない」と栗は言う。初回に浴びた安打は5本。しかし、11四死球などで14点を失った。ベンチに戻った栗は、守山に食ってかかった。「ここまで試合を壊してしまったのに、どうして交代してくれなかったんや」

 いらだちをぶつけると、守山はこう言った。

 「ここで逃げたら、逃げ癖がつくぞ」

 投手として最良の選手を先発させた。「栗にはエースとしての責任もある。せめて1イニングは抑えてほしい」。そんな思いがあった、と守山は振り返る。

 「僕も監督だったら、同じことを言うと思う。高校野球は人生の一部だけど、その後の人生にもつながる言葉でした」。中学、高校で荒れた時期もあった栗は19年前の16歳の夏に言われたそのひと言を今も覚えている。

 栗が降板した二回以降、有磯は3人の投手を送り出すが、毎回2桁失点を続ける。コールドを目前にした五回表。0―52から有磯が意地を見せる。

 交代したばかりの相手投手が乱れ、2死満塁。4番の長治(ちょうじ)孝一(35)に打席が回る。「52点差の完封負けは恥ずかしい。1点でも取りたい」。振り抜くと、前進守備の外野手を越える二塁打。「打てた喜びで心臓がバクバクした」。3点を返した。

 (五十嵐聖士郎)

こんなニュースも