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 福島第一原発事故の過ちを繰り返さないための教訓は得られた――。判決はそう評したが、果たしてそう言えるのか。

 関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の運転差し止めを地元住民らが求めた訴訟で、訴えを退けた名古屋高裁金沢支部の控訴審判決が確定する。原告側が最高裁への上告を断念した。

 4年前の福井地裁判決は、福島事故後に発足した原子力規制委員会が定めた新規制基準への適否にとらわれず、「福島事故のような重大な事態を招く危険性があるか」を独自に検討して、差し止めを命じた。

 これに対して高裁判決は、新規制基準について「各分野の専門家が参加し、最新の科学的・専門技術的知見を反映して制定された」とした上で、「その内容を尊重するのが裁判所としてふさわしい態度」と指摘。規制委による「適合」判断にも「不合理な点は認められない」として、原発の危険性は社会通念上、無視しうる程度に管理されていると結論づけた。

 福島の事故の教訓とは何だったか。「原発は安全」と唱える多くの専門家の判断によりかかった結果、「想定外」の重大な事態が実際に起き、今も回復できない甚大な被害を招いたことではなかったのか。

 高裁判決は、まるで福島の事故前に戻ったかのようだ。「事故の教訓はおおむね得られた」とする認識を見るにつけ、そうした思いを禁じ得ない。

 高裁では主な争点にはならなかったが、重大事故を起こすと住民が安全に避難することが極めて難しいことも、福島事故の重い教訓である。

 事故を受け、原発から30キロ圏内の自治体は避難計画の策定を義務づけられた。それが妥当で現実的かどうか、第三者が審査し、その上で再稼働の是非を判断するのが当然だろう。

 ところが現状はそうなっていない。規制委は設備の技術的な安全審査に徹している。一方の政権は、規制委が安全と判断した原発は粛々と稼働させると繰り返すばかりだ。立地自治体が同意すれば再稼働しており、手続きに大きな欠落があるのが実情である。

 高裁判決は、原発を廃止する選択も可能だとした上で、「司法の役割を超え、立法府や行政府による政治的な判断に委ねられるべきだ」と述べた。

 国会と政府はどう受け止めたか。原発を閉じていく方針を明確に示し、避難計画を含めて再稼働の是非を厳しく判断する。福島の教訓を踏まえれば、それが当然の姿勢ではないのか。

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