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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 2011年3月11日の東日本大震災は、東京電力福島第一原発事故を引き起こした。放射能汚染という惨事に、事故直後、福島県11市町村の約8万1千人に避難指示が出された。電力不足の懸念から、夏の甲子園は決勝などの試合開始を早める節電対策がとられた。

 「福島代表を決める福島大会開催に非難の声もありましたが、応援に来た生徒たちが抱き合って再会を喜ぶ姿に涙、涙でした。やって良かったと思いました」。当時、県高野連理事長だった宗像治(65)は専門家に相談したうえで、原発事故から約4カ月後の大会開催を決めた。福島大会では試合当日の朝、球場内の放射線量を測定して公表し、入場料は全試合無料にした。

 宗像は1971年の甲子園で準優勝した磐城(福島)の元選手。事故を起こした福島第一原発の1号機はこの年に稼働した。原発から約4キロの地元、双葉高校は2年後の73年、夏の甲子園に初出場している。

 双葉の主将だった松本伸哉(62)は現在、原発事故による汚染土を保管する中間貯蔵施設(福島県双葉、大熊両町)で、出入りする車両の放射線量を測る仕事に就く。

 甲子園では初戦で、優勝する広島商に0―12で敗れた。二塁手だった松本は、広島商の強い打球に何度も飛び込み、ユニホームを土まみれにした。

 双葉はその後、1980、94年にも夏の甲子園に出場している。だが、「FUTABA」と記されたユニホームの球児は今は見られない。双葉高校がある双葉町は避難指示が解除されておらず、高校は他校に間借りするなどしていたが、2017年春に休校した。「母校の近くを車で通ると、青春の思い出の風景が思い出せないほど変わっている。悲しいです」と松本。

 松本ら双葉OBは校名を残し、見る者に故郷を思い出してもらいたいとチームを結成。元球児が集う「マスターズ甲子園」に、16年から毎年出場を続けている。(五十嵐聖士郎)

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