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 裁判所が下し、政府も受け入れたはずの結論を、その政府があれこれ理由をつけてひっくり返しにかかり、あろうことか裁判所も追認する――。国のあり方そのものへの不信を深める異常な事態である。

 諫早湾干拓事業をめぐり、湾を閉め切った水門を開くように命じた2010年の福岡高裁判決について、同じ高裁が「履行しなくていい」として、事実上「無力化」する判決を言い渡した。開門を求めていた漁業者らの漁業権は13年8月でいったん消滅し、もはや開門を求める根拠がないという理由である。

 どんな漁業被害があるか、有明海の現況はどうなっているかといった本質的な論点に立ち入らず、国側が最近になって突然言い出した主張をいれ、法令の解釈だけで導きだしたものだ。同9月に新たに免許された漁業権に基づき、漁を続けてきた漁業者が憤るのはもっともだ。

 問題は解決に向かうどころか、混迷の度を増している。

 農地の造成と防災を目的にした事業は89年に始まり、現在は約40の事業者が約670ヘクタールで営農している。一方で、湾の閉め切り後、漁獲量は減り、海を生活の場にしてきた漁業者は厳しい状況に追い込まれている。

 本来ならば、10年判決を踏まえ、開門しても営農者らへの影響を抑える方策をともに考え、両者の利害を調整して紛争をおさめるのが政府の責務だ。

 実際はどうだったか。

 開門に向けた作業に本気で取り組もうとせず、その後、営農者が国に開門しないよう求めた裁判では、漁業被害について説明せずに「不戦敗」をねらい、思惑通りの判断を得た。そして「相反する義務の板挟みになった」と、司法に責任を負わせるような物言いをして、10年判決をたなざらしにしてきた。

 うかがえるのは、「一度始めた公共事業は絶対にやめない」という強固な意志であり、そのためには手段を選ばない、かたくなな姿勢である。

 こじれきったこの問題を解くのは容易ではない。それでも、閉め切りによってできた調整池に飛来する野鳥の被害に苦しむ営農者から、開門に理解を示す声があがったり、話し合いの場を設けようと市民団体が署名集めを始めたりするなど、新たな動きも出ている。

 小さな芽かもしれない。だが変化を鋭敏にとらえ、対立の解消と地域の再生をめざさなければ、政治の存在意義はない。

 豊穣(ほうじょう)な有明海。それが漁業者と営農者双方の思いであることを、忘れてはならない。

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