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 第100回全国高校野球選手権記念大会がきょう、阪神甲子園球場で開幕する。

 大会は1941年、戦局の深刻化を理由に地方大会半ばで中止され、太平洋戦争の間、空白が続いた。敗戦から1年の46年8月15日、兵庫県の西宮球場で全国大会が再開し、翌年夏には占領軍の接収解除で甲子園のグラウンドに球音が戻った。

 作詞家の阿久悠さんは、敗戦後の故郷・淡路島が舞台の自伝的小説「瀬戸内少年野球団」で「野球のある時代が平和の時代であり、野球のない時代が戦争の時代であった」と記した。平和の尊さをかみしめたい。

 戦後、一度も途切れることなく大会が続いてきたのは、多くの人たちの理解と支え、励ましがあったからこそでもある。とりわけ、大きな災害に見舞われた時、そのことを痛感する。

 この夏は、西日本豪雨の影響で14の地方大会が日程の変更を迫られた。犠牲者が百人を超えた広島県では、被災状況を考慮して開幕を予定より10日延ばし、期間中は全ての球場で弔意の半旗を掲げた。

 優勝した広陵高の森悠祐(ゆうすけ)投手は大会前、「野球をやっている場合じゃない」という戸惑いもあった。安芸南高の田代統惟(とうい)主将の選手宣誓を聞いて、気持ちを切り替えられたという。

 「どんな状況も克服し、それを乗り越えて挑戦します。それが野球だから」「家族、指導者、チームメート、私たちを支えてくれた全ての人々への感謝を胸に、がむしゃらにプレーすることを誓います」

 田代主将も濁流にのまれた地元の光景に衝撃を受けた。それでも何ができるかを考え、土砂の撤去に汗を流し、中学時代の同級生が行方不明だと知って捜索に加わった。

 自宅が土石流に襲われ、チームメートから野球道具を借りてベンチ入りした選手。グラウンドが水浸しになり、他校の協力で練習できたチーム……。

 選手の仲間や家族、高校の関係者だけではない。被災し、復旧作業に追われる地元の人たちが「応援しているよ」と球児に声をかけ、その背中を押した。

 23年前に阪神・淡路大震災が起きた年の夏は「はばたけ阪神淡路」、7年前の東日本大震災では「がんばろう!日本」。こんな横断幕や合言葉とともに、球児は懸命に白球を追った。その姿に被災した人は励まされ、寄付などで被災地を支援した大勢の人たちも拍手を送った。

 一世紀を超える歴史を支えた無数の人びとに感謝し、未来へつなぐ大会が始まる。

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