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 取り調べの様子を録音・録画した映像を、安易に法廷で再生することを戒める判決だ。他の事件での検察側の立証活動や裁判所の判断に、大きな影響を与えることになりそうだ。

 栃木県・旧今市市の小学1年の女児が殺害された事件で、殺人罪に問われた被告の裁判である。東京高裁は「映像に頼ると印象に基づく判断になるおそれがある」と述べ、被告の自白映像を元に、検察側の主張をほぼそのまま認定した一審・宇都宮地裁判決を破棄。そのうえで、別の客観証拠などに基づき、被告を改めて無期懲役とした。

 判決には首をかしげる点もないわけではない。自白に先立って行われた44日間に及ぶ取り調べを違法と批判しながら、中断をはさみ、捜査官が交代した後になされた自白については、強制はないとして容認したことなどだ。そんな疑義をはらみつつも、自白映像の取り扱いに警鐘を鳴らした意味は大きい。

 そもそも録音・録画はなぜ行われるようになったか。

 密室での強引な取り調べがうその供述を生み、多くの冤罪(えんざい)を引き起こしたためだ。捜査のゆきすぎを事後にチェックできるようにするのが目的だった。警察や検察は当初反対したが、導入が避けられないとなると、むしろ被告が真実を語っていたことを裏づける「武器」として使う方針に転じた。

 これに対し高裁は、映像が裁判官や裁判員に訴える力の大きさを指摘。他の証拠を冷静に検討したり、じっくり考えたりするのを阻害する可能性があり、実際に一審は誤りを犯したとして、慎重な運用を求めた。

 こうした懸念は以前からあった。今年5月までの2年間で、全国の地裁で325の映像が証拠申請されたが、裁判所が採用したのは181にとどまる。判決の指摘は、多くの裁判官の問題意識の集積ともいえる。

 もっとも、この判断が示されたからといって、映像が今後一切、証拠から排除されるわけではない。いったん自白した人物が、後にそれを覆した場合など、検察側が証拠申請するケースは今後もあるだろう。

 大切なのは、争点を整理し、真実を解明するためにどんな証拠を法廷で調べるかを決める裁判官の力量だ。ここを間違えると審理は迷走し、結果として裁判員に無用の負担を強いる。

 一連の司法改革は、取り調べへの過度な依存を脱し、公開の法廷でのやり取りで、有罪無罪や量刑を決めることを目的に進められてきた。いま一度、その原点に立ち戻らねばならない。

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