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 広島と長崎の被爆者は、平均年齢が82歳を超えた。

 原爆を巡る記憶はいや応なく遠のいていく。今春、プロ野球の広島東洋カープに対戦チームの応援席から「原爆落ちろ」とヤジが飛んだ。長崎では、修学旅行中の中学生が語り部の被爆者に「死に損ない」と暴言をあびせたこともある。学校での平和学習は、教育の政治的中立を強調する声の高まりで忌避の風潮が広がり、被爆地でさえ「後退」が指摘されて久しい。

 唯一の戦争被爆国として「核兵器のない世界」の実現を訴える日本には、広島・長崎の体験と記憶を継承する責任がある。広がる無関心と無理解、圧力と萎縮にどう抗していくか。

 長崎市出身で、原爆を経験した母親から話を聞いてきたノーベル文学賞受賞作家、カズオ・イシグロ氏(63)は「実際に生き抜いた人と会い、フェース・トゥ・フェースでつながる」大切さを言い、「体験が『歴史』になり始めたとき、違う方法で語らねばならない」と説く。

 核兵器禁止条約の国連での採択に貢献した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)は、世界各地の四百六十余のNGOからなる。30代が中心の若い世代が、縁もゆかりもなかった広島や長崎の被爆者に向き合い、人権や環境の保護、開発支援などそれぞれに取り組んできた課題と重ね合わせ、暮らしをおびやかす「非人道性」に矛先を向けた。

 ■人権・環境と重ねて

 日本でも、ICANに通じる試みが広がりつつある。

 核兵器廃絶を目指す国際署名活動でキャンペーンリーダーを務める林田光弘さん(26)は、長崎生まれの被爆3世だ。中学時代に関心を深め、国連を訪ねて平和を訴える長崎発の活動「高校生平和大使」も担った。大学進学で上京後、周囲の関心の低さに驚き、悩んだ。

 いま、講演会などで全国を飛び回りながら強調するのは、「新しい視点を持つ」ことだ。

 核兵器の恐ろしさを、人間の尊厳の破壊という観点で考えてみる。国際的な環境保護運動「アースデイ」の行事に飛び込み、環境の側面から見た核兵器の問題点を訴える。

 原爆問題に興味がない、特に若者に参加してもらおうと、イベントの開催でお笑いタレントやモデルと組んだ。今年2月に東京・渋谷で開いた「ヒバクシャと出会うカフェ」では、一方通行の語りにならないよう、被爆者1人を3人が囲み、双方の思いが行き交うようにした。

 ■ゆるくつながる

 広島市の平和記念公園の近くにあるカフェ「ハチドリ舎」は、政治、環境、人権、災害ボランティアといったテーマについて、関心を持つ人がゆるやかに集まり、語らう場だ。

 経営する安彦(あびこ)恵里香さん(39)は茨城県の出身。国際NGOへの参加をきっかけに、原爆をはじめ未解決の課題を意識するようになった。クラウドファンディングを活用して1年前に開店。関連する書籍を並べ、イベントを開きながら「ソーシャルブックカフェ」をうたう。

 毎月「6」のつく日に、被爆者の証言を聞く会を催す。「原爆の日」の6日は被爆者や原爆孤児ら7人を招いた。家族連れ、女子高生、原爆忌に合わせて帰省した地元出身者、米国人らが店内で小さな輪を作った。

 「被爆者と友達になってほしい。知ることで優しくなれるし、被爆地だけの問題ではないとわかる。もっと人が出会い、つながる場にしたい」と話す。

 ■被爆者とともに

 こうした取り組みを被爆者が後押しする。林田さんに国際署名活動のリーダーになるよう声をかけたのは、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(86)だった。被爆体験を若者に伝えようにも、社会の状況が当時と大きく異なり、対話すらままならない。ならば、発信から若者に任せよう。そんな考えからだ。

 日本被団協の運動にまつわる資料や被爆者の証言、手記、絵などを収集しているのが、NPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」だ。ネット上に公開し、東京でセンターの開設を目指す。

 大学生らが整理や分類などを手伝っている。数人のグループは、被爆者に関するデジタルアーカイブを作る仕組みを整えた。被爆前と被爆してからの人生を、デジタル地図の上で追えるようにする。世界各地に散らばる被爆者を紹介し、連絡してみようと思わせる仕掛けだ。

 作業に協力する渡邉英徳・東大院教授(43)は「若者のほうが最新の技術に詳しく、おもしろがってアイデアを持ち寄る」と話す。手伝いを通じて学生が原爆について考え、継承の担い手に育つことを応援する。

 確実に減り続ける被爆者が悲願とする「核なき世界」を、人類全体の目標に――。未来を生きる世代の自由な発想と行動に期待したい。

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