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 お城が人気だ。

 全国城郭管理者協議会に加盟する49の城の入場者は毎年約2千万人に達する。戦争や平和に思いをいたすことの多い8月。戦禍で貴重な天守が失われたことも忘れずにいたい。

 江戸時代の姿のまま残る天守は12しかない。大戦時の空襲で名古屋城、岡山城、和歌山城、大垣城(岐阜)、水戸城・御三階櫓(やぐら)、広島城、福山城(広島)の7天守が焼けた(日本城郭協会調べ)。大半が1500~1600年代に築かれたものだ。

 同協会理事で静岡の中学校教諭加藤理文(まさふみ)さんは「これほど多く被害が出たのは、米軍が焼夷(しょうい)弾で木造建築の焼き打ち攻撃をしたためだ」と話す。

 45年5月14日の名古屋空襲では、約400機のB29が名古屋城周辺を目標に攻撃し、天守は2時間で焼け落ちた。前年末から約60回にわたった空襲の死者は7800人を大きく上回る。

 標的は地方都市にも広がり、6月29日、警報が鳴らないまま始まった岡山空襲では、深夜の爆撃で1700人超が死んだ。市街地の6割が焼け、黒い外観から「烏城(うじょう)」と呼ばれた岡山城は一夜で灰燼(かいじん)に帰した。

 7月9日の和歌山空襲では、熱風に追われた人がお堀に飛び込むなどして約1100人が犠牲となり、紀州徳川家の城だった和歌山城も焼失した。

 8月6日には五重五階の天守を誇った広島城が原爆で崩壊し、本丸にあった中国軍管区司令部も被災。2日後の福山空襲では、江戸建築の完成形といわれた福山城も焼けた。

 都市爆撃、焼夷(しょうい)弾の猛火、民間人の犠牲――。そういった先の戦争の特徴を、それぞれの天守の「最期」は物語る。加藤さんは「多くの城はまちの中心部にあった。市民の喪失感は大きかっただろう」と話す。

 いつ、なぜ、そこが狙われたのか。人々はどこに住み、どこへ逃げたのか。城の被災を通じて知り、考えることは多い。

 水戸を除く6天守は戦後、コンクリート造りで再建され、市が管理している。老朽化に伴って建て替えや改修の動きもあるが、費用や資材の確保などさまざまな問題が待ち受ける。

 城のたつ場所自体が戦災の貴重な証しだ。観光振興や町おこしの視点だけではなく、城がどんな運命をたどったかについても案内を充実させるなどして、戦時の記憶を伝える場となるよう、工夫してもらいたい。

 天守に限らない。多くの貴重な文化財が破壊された。戦争がもたらす災厄について考える痕跡は、全国各地にある。

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