[PR]

 日本が戦争に敗れて、きょうで73年を迎えた。

 この歳月を経てなお、日本はアジアでの和解を成し遂げていない。日中両政府の関係が上向くにつれ、表面上は見えにくくなっているが、民衆の間では複雑な感情が今も広く残る。

 侵略や植民地支配の記憶という「負の遺産」の風化をこのまま待つという姿勢では、未来志向の関係は築けない。アジア太平洋で日本が果たすべき役割を考え、積極的に貢献することも和解の歩みに必要だろう。

 政府が、そして社会と個人がそれぞれの立場から、平和への発信を強めていきたい。

 ■危機の予感が現実に

 「私に一つの危機の予感がある」。終戦を上海で迎えた作家の堀田善衛は1959年、将来の日本と中国の関係について、そう書いた。

 歴史認識などをめぐる「双方の国民の内心の構造の違い」が、「ちょっと想像出来ないようなかたちの危機をもたらすのではないか」と案じた。日本の中国侵略を経て、「われわれの握手の、掌(てのひら)と掌のあいだには血が滲(にじ)んでいる」とも。

 日中の国交正常化はそれから13年後の1972年。ソ連という共通の脅威が冷戦下の両国を結びつけた。中国政府は戦争の被害感情より外交利益を優先させ、日本は賠償を免れた。

 為政者にとっては成功物語だっただろう。しかし和解の重要な土台となる、中国の人々の思いは置き去りにされた。

 その封印が解かれたのは冷戦後の90年代以降である。中国共産党が進めた愛国主義の政治教育も重なり、噴き出した反日感情が今もくすぶっている。

 堀田の言う「危機の予感」とはこれだったのだろうか。

 ■地域の発展に向けて

 この6月、初の米朝首脳会談が開かれた。両国が戦った朝鮮戦争に至る経緯を振り返れば、南北分断の背景に日本の植民地支配があることに気づく。隣国の人々には、米ソによる分断がなぜ日本でなく、自分たちなのかとの思いがある。

 一方で、日本は戦後、アジアの平和と発展のために多くの仕事をし、信頼と評価を得た。カンボジア和平などに多数の日本人が関与し、発展途上国での無償技術支援も進めてきた。

 かつて軍靴で蹂躙(じゅうりん)した地域の発展に、息長く携わることは、和解のプロセスにも役立つ。

 アジアの秩序はいま過渡期にある。米国と中国の2大国が力を競いあう場面が増えている。もう一つの大国インドの成長も加わり、競合と多極化が進む大変動の時代に入った。

 この潮流を見据えたうえで、これまでアジアに関与してきた日本がもっと建設的な役割を果たす道があるのではないか。

 例えば、日中韓の自由貿易など経済的な地域協力づくりだ。すでに、米国が去った環太平洋経済連携協定(TPP)を維持する実績をつくった。国際ルールをふまえた多国間枠組みの実現にもっと努力できるはずだ。

 さらに中国の提唱する「一帯一路」構想への意義ある関与を探りたい。構想は、世界経済に資する歴史的事業にも、中国の覇権拡大の道具にも、いずれにもなりえる。日本は、アジア全体の浮揚こそが世界と中国の利益になることを説くべきだ。

 インド、豪州や東南アジアとの連携も、深めていく必要があるだろう。アジア諸国から見れば、日本は今でも抜きんでた経済大国であり、中国とは一線を画した自由主義国でもある。日中両国は競うのではなく、互いにアジアの発展に貢献する共通の理念を掲げたい。

 ■一人一人と向きあう

 そうした政府間の関係や取りくみは大きな影響を及ぼす一方、歴史の和解を進める主役はあくまで個々の人間である。

 歴史認識について、国からのお仕着せやステレオタイプではなく、自由で多様な見方や意見をもち、交流する。そのための民主主義の成熟も欠かせない。

 近年、加害者と被害者の市民との関係の複雑さを考えさせたのは、オバマ米大統領による2年前の広島訪問だった。

 大きな癒やしを得た人と、謝罪なき政治的演出と見た人と。地元の受け止めは交錯したが、それでも歴史をめぐる議論に一石を投じたのは間違いない。

 あのときオバマ氏と抱擁した被爆者の森重昭さん(81)は言う。「大事なのは、人間として考えることではないですか」

 今やアジアから日本を訪れる観光客は年間2400万人。歴史や文化をめぐる研究者や留学生の交流も裾野を広げてきた。個人の発信がネットを介して各国で反響を呼ぶ時代、生身の人間同士、平和を語りあう機会をもっと増やせないか。

 自らの過去を美化することはできない。しかし、将来を変えることはできる。平和と繁栄と人権を尊ぶ目標を各国の国民とともにし、アジアの未来への新たな記憶を紡いでいく。そんな日本の姿を築いていきたい。

こんなニュースも