[PR]

 死刑は多くの人が関心を抱くテーマです。朝日新聞デジタルの2回のアンケートには計3400件を超える回答がありました。一方、死刑囚や執行の様子などについての情報はほとんど公開されていません。最終回は、死刑と向き合ってきた犯罪被害者らの意見を紹介し、議論のために必要な情報公開のあり方を考えます。

 ■量刑の基準は/冤罪ないのか

 アンケートに寄せられた声の一部を紹介します。

     ◇

 ●「中学校の社会科の授業でも死刑制度について議論したことがある。私個人の意見だが、たくさん人を殺し、刑務所に入っただけで罪が償えるとは到底思えない。刑務所といってもご飯は出るし、お風呂も入れるし、寝る布団もある。許せない気持ちのほうが多い。なんで人殺しをしたのにちゃんとした生活をしているのか分からない。もし、死刑制度が無くなったら、人殺しをしても死刑にされないからと犯罪が増える気がして怖い。死刑判決は、何十回も裁判をして犯人と分かった上で判決される。死刑制度は最悪の場合しか使われないし、置いておいたほうがいいと思う」(大阪府・10代女性)

 ●「死刑制度の存置自体には賛成ですが、執行を当日の朝に死刑囚に知らせるというのは非人道的な慣習で、少なくともその部分に関しては改善すべきだと思います。国民レベルでは『欧州が廃止しているから』というような論理は考えない方が良く、日本国民として日本の刑事司法制度がどうあって欲しいかこそが重要です」(神奈川県・20代男性)

 ●「死刑は必要だろうが量刑の基準がわからない。かつては、被害者が1人なら無期、複数で死刑などと新聞の解説で書かれていたようですが、これは今の感覚では、随分とひどい事件の報道が広く拡散されることを考えると甘すぎる。だからといって目安もなく死刑を乱発されては困る。更生の余地なき重大な殺人に対して死刑は日本のように宗教上のおそれが元々緩い世界では相応の刑であり、司法の量刑についての見解を広く公開することが、まず必要だと思います」(東京都・50代男性)

 ●「遺族の方の気持ちを考えると死刑にしたいという気持ちはとてもよく分かります。でも、結局量刑を決めるのは人間です。人間は神様ではありません。もしかしたら誤った判断をしているかもしれない。果たして本当に冤罪(えんざい)はないのか……。死刑を執行するのは人間です。いくら誰がボタンを押したか分からないようにしているとはいえ、殺人と同じことです。法で殺人を犯すなんて、何のための法律なのか疑問をもってしまいます」(北海道・30代女性)

 ●「冤罪が避けられない以上、死刑は廃止すべきです。この場合の冤罪とは無実の人の処刑だけではなく、本来死刑に処すべきではなかった人の量刑事情を誤って過剰に評価してしまった結果、死刑とした『量刑誤判』も含まれます。これも重大な国家のエラーであり、避けられない以上、やはり死刑は廃止するしかありません」(東京都・60代男性)

 ●「死刑のことをほとんど知らない。死刑に刑罰として、犯罪抑止についてどのような効果があるのかも、科学的にどれだけの研究・考察が行われているのかもさっぱり分からない。なのになぜ、賛成だとか反対だとかいえるだろう。まずはそれらの情報を教えてほしい。とにかく考える材料が足りない。感情(思い込み)で語るのでは議論したことにならない」(埼玉県・30代男性)

 ●「遺族感情として死刑を求めるのは当然かと思うが、中には死刑を求めない遺族もいるのでは。裁判所での死刑判決の後で、執行については遺族の意見を尊重する制度にしてはどうか。遺族が賛成すれば執行、反対なら終身禁錮など」(茨城県・50代男性)

 ■被害者遺族、面会できる制度を 地下鉄サリン事件被害者の会代表世話人・高橋シズヱさん(71)

 オウム真理教の事件で死刑が確定した、13人が執行されました。死刑囚はいつ執行されるか分からないなか、自分の罪と向き合うことが求められます。終身刑とは違う心情の変化があるという点でも、刑罰として死刑はあるべきだと考えています。

 ただ、変えて欲しい点もあります。被害者遺族として、法務省には(1)死刑囚との面会(2)執行前の通知(3)執行時の立ち会い(4)執行後の通知――を求めていました。執行後の連絡はありましたが、他の3点は実現しませんでした。面会を希望したのは、彼らが死と向き合うなかで事件についてどのように思い、再発防止策をどう考えているのか、直接聞くべきだと思ったからです。

 裁判中は、法廷で彼らの話を聞くことができました。しかし、情状の証拠にされる可能性があったため、手紙は受け取っておらず、直接の対話はしていません。死刑が確定すると、今度は「心情の安定」などを理由に、面会や手紙のやり取りが困難になります。

 執行への立ち会いを望んだのも、「事件の当事者として最後まで見届けたい」という考えからです。現在、遺族は被害者参加制度を通じて裁判に加わることができます。裁判の確定後も、無期懲役囚らであればどのように刑務所で過ごし、出所するのかどうか、検察庁から教えてもらえます。一方、死刑囚に関する情報は教えてもらえません。

 だからこそ、遺族が死刑囚に面会できるような制度を整えて欲しいのです。死刑囚と話すことを望む遺族にとっては被害回復になるかもしれません。死刑囚がどのように過ごしているのかが知られれば、制度についての議論にもつながるはずです。

 現在の議論で違和感を感じるのは「遺族が望んでいるから死刑にすべきだ」という声です。事件は一つ一つ違うし、遺族の思いも同列に語ることは出来ません。地下鉄サリン事件の遺族でも考えは様々です。

 死刑制度を議論するのであれば、もっと死刑囚の状況や思いを知ることが必要ではないのでしょうか。そのためにも、死刑囚の家族や弁護人、遺族がいろんな意見を出さないといけないと思います。

 ■よく知らずに「賛否」、不健全 ドキュメンタリー映画を監督・制作、長塚洋さん(59)

 市民135人が死刑について議論する様子を追うドキュメンタリー映画「望むのは死刑ですか 考え悩む“世論”」を2015年に監督・制作しました。

 最初は多くの人が「死刑についてあまり考えたことがないけれど、賛成」という意見でした。でも、弁護士や犯罪被害者から話を聞き、死刑や刑事裁判について知ると、簡単に「賛成」と言える人が減りました。死刑に反対する被害者がいると知り、揺らぐ人もいました。

 死刑とは我々の国家の責任で、人の命を奪うという刑罰です。私たち一人ひとりにとってとても大事なことのはずなのに、よく知らないで「賛成」「反対」と決めるのは不健全だと思います。社会にとって大事なことを「知らない」「論じない」でいいのでしょうか。

 関心がないわけじゃないけど、ぼんやりとしか知らない。そんな人たちに、制度について知ってもらいたい。例えばオウム真理教の元幹部たちの死刑執行をめぐる報道には「公開処刑のようだ」という批判も起きました。しかし、これまで秘密主義を貫いてきた日本の死刑を、一般の人が「リアルだ」と感じたのなら、弊害だけではないはずです。今回の執行が、死刑に関する議論をするためのきっかけになればと思います。

 ■面会・文通、「心情の安定」理由に制限

 死刑囚は「受刑者」という立場ではなく、刑務所に収容されません。死刑が確定すると、執行されるまで、刑場がある全国7カ所の拘置施設で過ごします。行動は厳しく制限されています。監視カメラがついた独房が原則で、面会や文通ができるのは親族や弁護士のほか、拘置施設長が「心情の安定に資する」と判断した人だけです。手紙もチェックされ、内容によって「墨塗り」にされます。法務省は個々の死刑囚に関する情報もほとんど公開していません。

 執行は当日の朝に伝えられます。かつては前日に通告され、家族らと最後の面会をすることができましたが、現在は家族も執行後に初めて知ります。理由は「自殺防止」とされています。

 ◆この回は山田暢史と阿部峻介が担当しました。

 ◇来週23日は「カイシャの飲み会:1」を掲載します。

 ◇ご意見をお寄せ下さい。asahi_forum@asahi.comメールするか、ファクス03・3545・0201、〒104・8011(所在地不要)朝日新聞社 編集局長室「フォーラム面」へ。

こんなニュースも