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 平成に入り首相を務めた17人のうち、現職で倒れたまま亡くなったのは小渕恵三だけだ。

 2000年4月2日、日曜未明の緊急入院は大混乱を招いた。1990年代に阪神大震災などの教訓で政府の危機管理が叫ばれるようになったが、首相の身に起こる万一の事態への備えがなかった。

 当時の公邸に緊急医療態勢はなく、小渕の異変に気づいた妻、千鶴子(78)が主治医を電話で呼びライトバンで病院へ。脳梗塞(こうそく)だった。ほぼ丸一日たった深夜に官房長官の青木幹雄(84)が入院を公表。それまで小渕の秘書は、週末に首相の様子を電話で問い合わせる代表取材に、ずっと公邸にいるかのように説明していた。

 3日未明にかけ、国会近くのホテルで青木ら自民党を仕切る「5人組」が相談し、その一人の幹事長・森喜朗(81)を後継とする流れを作る。青木は2日夜に病床の小渕から首相臨時代理に指定されたというが、説明はあいまいで、不透明な首相交代となった。

 その後、首相の容体急変に24時間対応する自衛隊の医療チームができ、首相が臨時代理を前もって指定するのが慣例になった。ただ、首相と一緒に歩いて質問もできた当時の番記者の私は今も、小渕の心身の疲れに気づけなかっただろうかと心が晴れない。

 入院の約5時間前、小渕は自由党党首の小沢一郎(76)と官邸で会談後、ぶら下がり取材で連立解消を表明。途中で10秒ほど沈黙があった。今にして思えば不自然だが、小渕との間合いが絶妙だった時事通信の総理番でいま島根日日新聞社長の菊地恵介(42)にも、違和感はなかった。「丁寧に言葉を探す人でしたから……」

 小渕は自分を観察する総理番にこそ不調を悟られまいとしただろう。政党の離合集散で敵味方入り乱れた90年代をかいくぐった政治家ならなおさらだ。だからこそ元総理番として、小渕が倒れるまでを見つめ直したい。=敬称略

 (藤田直央)

 

 <訂正して、おわびします>

 ▼2日付「平成とは 取材メモから40」の写真説明で、撮影日が「1999年4月1日」とあるのは「2000年4月1日」の誤りでした。

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