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 教育勅語には、現代風にアレンジすれば道徳の授業などに使える分野が十分にある。普遍性をもつ部分が見て取れる――。

 柴山昌彦・新文部科学相が就任会見でそんな見解を披露した。教育行政をつかさどる閣僚の見識を疑う。

 安倍政権下ではこれまでも、首相に近い政治家が勅語を擁護する発言を繰り返してきた。

 「至極真っ当。今でも十分通用する」と述べた下村博文元文科相しかり、「道義国家をめざす精神は取り戻すべきだ」と唱えた稲田朋美元防衛相しかり。そして今度は、自民党の総裁特別補佐や首相補佐官を務めてきた柴山氏である。

 菅官房長官は「政府としては積極的に教育現場に活用しようという考えはない」と火消しにまわったが、それだけでは不十分だ。首相自身が説明に立ち、勅語の「復権」をきっぱり否定しなければならない。

 「危急の大事が起きたら一身を捧げて皇室国家のために尽くせ」という点に、教育勅語の本質はある。だから敗戦の3年後の1948年6月、衆院は「根本理念が主権在君ならびに神話的国体観に基づいている事実は、明らかに基本的人権を損ない、国際信義に対して疑点を残すもととなる」として、その排除決議を全会一致で可決した。至極当然の指摘である。

 根幹が国民主権と人権尊重に反するものを、どのようにアレンジしても、学校で使えるわけがない。

 柴山氏は、勅語に「普遍性」を見いだす根拠の一つとして、国際協調を重んじている点を挙げた。この認識も疑問だ。

 近現代史を研究する辻田真佐憲(まさのり)氏は「むしろ国際協調の視点が足りないとして、日清戦争後には改訂の動きがあった」と話す。勅語には「ここに示した道は天皇歴代の祖先からの遺訓であり、外国にも通用する」という趣旨のくだりもある。結局、国内外に価値観を押しつけ、軍国主義を支える精神的支柱として、勅語は機能し続けた。

 擁護派は、きょうだいや友人を大切にする、博愛や公益を広めるなど、勅語には良いことがたくさん書かれているという。だが家族愛や友情、公共の精神は勅語を持ちださなくても教えられる。実際、そうした普遍的な徳目は、どれも学習指導要領に既に盛り込まれている。

 戦前の日本は天皇と国家に無批判に従うよう国民に強い、戦争に駆り立て、破局の道をたどった。その苦渋の歩みを教える史料として扱う以外、勅語を教育に生かす道などありえない。

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