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 沖縄の声を政府に届けるために、できる限りの手立てを尽くす。そんな切実な思いのあらわれと見るべきだ。

 米軍普天間飛行場の移設をめぐり、来春までに県民投票が行われることになった。名護市辺野古の海の埋め立てについて、賛成か反対かを問う。法的拘束力はないが、県議会で成立した条例は、賛否いずれであれ、多数が有権者の4分の1に達すれば「知事は結果を尊重しなければならない」と定める。

 住民に選ばれた議員らが話し合って、予算や政策を決める。それが日本がとる統治システムの基本だ。だが重大な問題について、この間接民主主義が適切に機能しない場合、民意をじかに確かめ、政治に反映させる道は当然あっていい。中央と地方が対立し、解きほぐす糸口が見えないときも同様だろう。

 翁長雄志氏が当選した4年前の知事選をはじめとして、県民は「辺野古ノー」の意向を繰り返し表明してきた。だが政府はいっさい耳を傾けない。

 象徴的なのは、翁長氏の遺志を継ぐ玉城デニー氏が9月の知事選で勝利をおさめた直後に、政府がとった措置だ。

 県による「埋め立て承認の撤回処分」に対抗するとして、行政不服審査法にもとづき、処分の効力を失わせる手続きを始めた。本来国民の権利を守るためにある法律を持ち出して、政府の方針を押しつける。異様な手法に多くの法律専門家が批判の声をあげたのは当然だ。

 選挙を通じて示した民意を無視するのなら、別の手段で民意を明らかにするしかない――。県民投票の実現に取り組んできた市民団体などの考えだ。

 政府は「外交・防衛は国の専管事項だ」と牽制(けんせい)するが、それは「県民は国に黙って従え」と命じるのに等しい。この一方的で高圧的な姿勢が、問題の解決を遠いものにしてきた。

 投票が県民の間に分断を生む懸念も指摘されている。だが、政府の意向に従うか否かで予算配分に差をつけ、分断を進めてきたのは当の政府ではないか。

 地方自治とは何か。民主主義はどうあるべきか。「辺野古」が突きつける課題は全ての国民に及ぶ。県民投票を機に、そのことを改めて確認したい。

 気がかりは、県内の数市が投開票事務に協力するかどうか、態度を保留していることだ。県は投票の趣旨を丁寧に説明する必要があるし、市側も政治的立場を超えて、人々が納得できる対応をとってもらいたい。

 投票の機会は、県民に等しく与えられなければならない。

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