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 競売で高値で落札されたばかりの絵が、多くの人々の目の前で切り刻まれる。しかも、絵を描いた当人が額縁にひそかに仕掛けていた細工によって。

 英国の芸術家バンクシーのたくらみを報じるニュースが、先ごろ世界を駆け巡った。

 素顔を明かさず、反権力のメッセージ色が強い、異才らしい企て。と同時に、そんな過激さやシニカルなユーモアを受け入れる、英国社会の気風もかいま見えた出来事だった。

 さて日本はどうだろう。

 美術館や劇場では様々な企画が催され、特色ある芸術祭も各地で開かれる。楽しみ方が広がる一方で、評価のものさしが観客の動員数や収益の多寡に偏っているきらいはないだろうか。万人受けを狙えば、結果として先鋭的・実験的な表現は居場所を探すのが難しくなる。

 いま改めて注目が集まる1960年代から70年代前半にかけては、芸術の世界でも、社会に斬り込み、既成価値に異議を申し立てる試みがあふれていた。

 赤瀬川原平(1937~2014)もその一人だ。作品として発表した模造千円札を巡り、犯罪か芸術か、活発な論争を巻きおこした。裁判で有罪になったものの、多くの人が当たり前と思っている概念、守るべしと考えている規範を、遊び心たっぷりに揺さぶってみせた。

 赤瀬川らに影響を与えた岡本太郎(1911~96)は43歳の時、こんな宣言をしている。

 今日(こんにち)の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない――。

 自身、芸術とはみなされていなかったものに、光を当てた。縄文土器に美を見いだし、東北や沖縄など全国を訪ね歩き、人々の生活に根づく文化や芸術性の高さを紹介した。70年の大阪万博では、モダニズムの逆をゆく土俗的な「太陽の塔」をつくり、時代を超えた、人間の根源的な生命力をたたえた。

 美術界から高い評価を受けることはなかったが、没後に見直しが進む。今年は太陽の塔内部の「生命の樹」の公開に20万人が詰めかけ、ドキュメンタリー映画の上映や回顧展もあった。近年の縄文ブームや、秋田のナマハゲのユネスコ無形文化遺産への登録(見込み)は、「時代が太郎に追いついた」との評の正しさを裏づける。

 いつの世も、異端が時代を切り開いてきた。秋の一日、未知の作品世界のドアをノックしてみるのもいい。芸術の妙味は、自らの価値観が問い直され、変わる過程にこそ、ある。

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