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 「仁徳天皇陵」と伝えられる大山(だいせん)古墳(堺市)は、国内最大級の前方後円墳として知られる。宮内庁が先月から、市と共同で発掘調査をしている。

 天皇や皇后、皇族を埋葬したとされる陵墓は皇室用財産として宮内庁が管理する。このうち天皇陵は、8世紀の「古事記」「日本書紀」や10世紀の「延喜式」の記述をもとに、幕末から明治にかけて指定された。

 一方、考古学の発展やこれまでの発掘成果から、宮内庁が被葬者とする天皇などと築造年代が矛盾する陵墓が多いことがわかっている。大山古墳も被葬者を巡って諸説がある。

 宮内庁は「静安と尊厳の保持」を理由に、陵墓の本格的な学術調査には消極的だ。今回も埋葬施設がある墳丘は対象外で、限定的な発掘にとどめるという。しかし、被葬者が学術的に確定しないまま「天皇陵古墳」の呼称が定着することには、考古学や歴史学の学会をはじめ疑問や懸念が強い。

 被葬者を含む築造時の状況を学術的に解明し、裏付けをもって国内外に発信する。そうした姿勢に転じるべきだ。

 宮内庁は2008年に学会代表による陵墓への立ち入り調査を認めるなどしてきたが、「公開」には一貫して後ろ向きだ。今回の調査の目的も、護岸整備などの工事に向けた基礎資料集めだと説明し、発掘場所は濠(ほり)に面した堤のごく一部に限られる。市民を対象にした見学会も予定していない。

 政府は今年、百舌鳥(もず)・古市古墳群の世界文化遺産登録を目指すことを決め、ユネスコ(国連教育科学文化機関)に推薦した。大山古墳はそれを代表する古墳の一つだが、学会は「仁徳天皇陵古墳」として登録することに疑問を示している。

 築造時の姿に迫るには、墳丘全面の観察や裾部分の発掘を含む本格調査が必要だろう。宮内庁と堺市だけでなく関連分野の研究者も加わり、保全にも配慮しつつ幅広い視点から調査を進めるべきだ。

 巨大古墳は日本という国家がどう形成されたかを解き明かし、朝鮮半島や大陸との交流を探る鍵になる。その歴史的価値を後世に伝えるためにも、最新の知見を生かし、調査の成果は見学会や展示会で広く公開することが欠かせない。

 1972年の高松塚古墳壁画の発見後には、衆院文教委員会が超党派で天皇陵の発掘を求めたこともある。陵墓を国民共有の文化財と位置づけ、歴史への関心にこたえる。そうした取り組みが求められる。

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