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 今回のテーマは「認知症」です。自分自身が、あるいは大切な家族や友人が認知症になったら――。不安や葛藤はやっぱりあります。認知症になった後も続く人生を前向きに生きるために、私たちに何ができるのか。家族や医療、社会とどう向き合っていけばいいのか。みなさんと一緒に考えたいと思います。

 ■介護、心と体の負担

 朝日新聞デジタルのアンケートに寄せられた声の一部を紹介します。

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 ●「同居の姑(しゅうとめ)が認知症です。関係が良くないので、精神的につらいです。『今まで言いたいことを言って私を傷つけてきた人に、なぜ優しく接しないといけないのか』。頭の中には姑を否定する言葉ばかりが浮かんできます。認知症を認めたくない姑は受診を嫌がり最初に気づいてから受診まで2年以上かかりました。介護は人とのつながりです。今も『嫌いな姑』とつながるのは苦痛ですが、介護せざるを得ません」(大阪府・50代女性)

 ●「介護資格取得時に認知症に関して勉強しました。認知症で心配な問題行動は周辺症状と呼ばれるもので、周りの人のかかわり方ひとつで悪化も改善もすることを知りました。認知症のご家族には、ご本人になんとか元どおりになってほしいあまり症状を悪化させる対応をとってしまう方が多いのですが、初期段階で正しい知識を持っていれば、ご本人もご家族ももう少し幸せな時間を過ごせるのではと思うことが多いです」(神奈川県・40代女性)

 ●「実母と義母がともに認知症で、実母の方はかなり進行しています。認知症が進んでくると、誰かが四六時中注意を払っていないと、いろいろと問題が起きます。そこに『育ててもらったのだから最後まで面倒を見るのが子供の義務』という物の見方が入ってくると、世話をする側にとっての極度の負担とストレスになります。安心できる施設に任せることも含めて、介護する側それぞれの対応を温かく見守り、認めてあげてほしい」(東京都・60代男性)

 ●「認知症予防、という言葉に『予防できるはずなのに怠っていたから認知症になったんだ』というとんでもない攻撃が隠れています。私はならない、という社長に、父が認知症で介護のため仕事が不安定になるかもと話したところ、『大変ね。でも予防できるんでしょ。うちの親にはボケ防止させないと』、と言われました」(東京都・40代女性)

 ●「認知症への偏見を取り払わなくてはと思いつつ、認知症にはなりたくないと思っている自分も払拭(ふっしょく)できません。情けないのですが、本音です」(神奈川県・40代女性)

 ●「母が認知症になって、田舎から引き取ることになりました。しかし、思った以上に以前と違う母を受け入れるには時間もかかり、難しい問題が山積みでプロの人たちの力を借りようと福祉制度を勉強し、近くの安心できる良いホームに入ることが出来ました。こちらに来て2年以上経ち80を超えた母は元気にしています。今は瞬間瞬間の母の笑顔を大切にして、もちろんストレスがたまることはいっぱいですが、無理をせず自然に接していこうと思っています」(神奈川県・50代女性)

 ●「両親ともに認知症で、今日の出来事などを聞いても答えることができません。しかし、2人とも体は比較的丈夫で、食事・トイレ・お風呂などは、自分でできます。今のところは介護にそれほど大きな負担はかかっていませんが、今後少しずつできないことが増えていくと予想されます。私が今できることは、症状が進んでいかないように、できるだけ穏やかな気持ちで日常生活ができるようにしてやることかなと思っています」(三重県・60代男性)

 ■手をあげ、涙あふれた 母の介護体験を著書に、松浦晋也さん(56)

 通帳の紛失。コンロの空だき。母(84)の様子がおかしいと気づいたのは4年前。父は亡くなり、長男の私と母は実家で2人暮らしでした。

 認知症と診断された母を介護する苦しみの半分は、母の拒否と抵抗でした。食事の支度をすれば「まずーい」と大声で言う。以前の母なら考えられないことです。トイレで排泄(はいせつ)を失敗し、掃除しようとして紙を詰まらせ、水があふれる。「自分ではできないでしょうが」と怒っても、「自分でやる」。怒鳴りあいで互いに消耗しました。

 「自分が母を支えるしかない」と思い込み、ストレスで体調を崩し、幻覚にも悩まされました。科学技術ジャーナリストとしての仕事ができず、預金が急減するのも恐怖でした。気づけば「死ねばいいのに」と独り言をつぶやくようになりました。ある日、食品を台所いっぱいに散らかして「おなかが減って」と訴える母に、手を上げてしまいました。直後は放心状態で、涙があふれました。

 海外で暮らす妹に事情を話すと、すぐに母のケアマネジャーに連絡してくれました。妹は私を責めませんでした。母は17年1月からグループホームに入居しました。

 こうした体験を「母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記」にまとめました。私の介護は「失敗」でした。介護を家族で抱え込むのは無理です。家族は近いが故に愛情もある半面、憎しみやあつれきも大きくなります。

 家族が認知症かも、という日が来る前に、地域の相談窓口である地域包括支援センターで情報を集めておくことは重要です。介護保険は使い倒す。自分が献身的になればいいと思ってはいけません。介護の矢面にたたない家族は、介護する人をケアする心配りがほしいと思います。(聞き手 編集委員・清川卓史)

 ■悩み語らう「つどい」

 家族や自分が認知症になった時、同じ立場の人に悩みや愚痴を打ち明けられる場所があります。その一つが、「認知症の人と家族の会」が定期的に開く「つどい」です。「家族の会」は1980年に京都で始まり、全都道府県に支部があります。

 11月中旬、東京都支部で開かれた「つどい」には13人が参加しました。「ここで話したことは、ここだけのことです。何でも思っていることを言ってください」。司会者が促すと、認知症の家族と暮らす悩みやリフレッシュ法、病院の情報など、様々な話題で語り合いました。

 この日、司会を務めた斉藤響子さん(54)が初めてつどいに参加したのは、3年半ほど前。母がアルツハイマー型認知症と分かってから1年半が過ぎていました。認知症の基礎的な知識は知っていても、「これからどうなってしまうのか」と心の整理がついていなかったといいます。

 つどいに参加すると、同じ状況の人が悩みや日々の出来事を語り合っていました。斉藤さんも、母親や家族のことなどを話しました。「認知症の家族がいる」という共通点があるだけで安心できると感じました。

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 <母の笑顔が大事に> つどいに頻繁に出るようになった斉藤さん。回を重ねるうちに「考え方のスイッチを切り替えられるようになった」と言います。2年ほど前、骨折した母のため、階段に手すりをつけるか悩んでいた時のこと。環境が変われば母の機嫌が悪くなることは目に見えていましたが、安全を優先すれば手すりは必要。悩んだあげく、つけるのをやめました。「こうするべきだ」よりも、目の前の母親が笑っていることが大事だと思えるようになりました。

 「そう思えるようになったのは、たくさんの人の話を聞いてきたから。それからは劇的に介護と向き合う気持ちが変わりました」。明るく接することができるようになり、つらいことがあっても「次のつどいで話そう」と気持ちを整理できるようになったと言います。今年10月、81歳の母を見送りました。

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 <愚痴言ってもいい> 今は斉藤さんが支える側です。数カ月前、一人の女性が「どん底にいるような表情」でつどいに現れました。「母の首をしめようかと思う」。斉藤さんは「ちょっと笑ってくれることがあったら、その日一日は生きていける。爆笑させられたら1週間、生きていける。その積み重ね」と体験を話しました。女性は「笑うことを忘れてたし、笑わせるなんて考えたこともなかった。ちょっと笑わせてみます」と帰っていきました。

 次のつどいに見違えるような明るい表情で参加した女性は、「一日一笑がモットーです」と話したそうです。11月のつどいではこう語りました。「『今がよければいい』『先は考えない』と思えるようになりました。ここだけは、愚痴を言っても責めないでくれる。私がいま生きていられるのは、ここにきたお陰です」

 斉藤さんは「彼女のように苦しんでいる人が、一人でも多く気持ちのチャンネルを切り替えられるように手伝いたい」と話します。東京都支部の代表を務める大野教子さんは「最初は不安があるかもしれませんが、ぜひ仲間がいる安心感を知って欲しい」。「家族の会」は各支部でつどいや電話相談を実施しており、電話番号はホームページ(http://www.alzheimer.or.jp/別ウインドウで開きます)で。本部でも電話相談(0120・294・456)を受け付けています。(田中聡子)

 ◇来週9日は「認知症、前を向くために:2」を掲載します。

 ◇アンケート「認知症になったら」を4日までhttp://t.asahi.com/forum別ウインドウで開きますで実施中です。ご意見はasahi_forum@asahi.comメールするでも募集しています。

 

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