分断を超えて、つながろう 朝日教育会議
■明治学院大×朝日新聞
朝日新聞社と明治学院大学はシンポジウム「分断が進む社会 他者とのつながりを求める意味とは」を共催した。朝日新聞社と15大学が協力する連続シンポジウム「朝日教育会議2018」の第12回で、3時間余にわたって人のぬくもりのある社会について話しあった。【東京都千代田区の有楽町朝日ホールで12月8日に開催】
■基調講演 関係ないと思わず、興味を持って 作家・明治学院大学国際学部教授、高橋源一郎さん
震災直後、教え子から、1通のメールが届きました。とてもシンプルなメールでした。明学(明治学院大)は3・11の直後から自発的にボランティアに行く子がたくさんいました。そのなかで「行かねばならないのに、なぜか行きたくない気もする。私、間違っているんでしょうか」。
ぼくは即答しました。「行かなくていい。なぜならボランティアは心の底から自発的に行くものだから。どこかで納得できない自分がいるなら大事にしてください。それをなくしたら個人じゃない。だから今行く必要はない。それが君のやるべきことです」
少したってまたメールが来た。「明学の卒業式が中止になりますが、先生これでいいんでしょうか?」
これはよくないと思いました。当時たくさんの大学で、交通機関がきちんと動いていないから、卒業式を運用できる自信がないということで中止になったけど、それはウソです。「あのような大災害のあとで、華美と思われかねない。とりあえず自粛する」という忖度(そんたく)です。
「学問は真理を追究すべきだ」と言っておいて、卒業式はウソの理由で休む。おかしいですよね。
明学の国際学部では自主卒業式が行われました。卒業式の代わりに教務で卒業証書を受け取ることになった日に、何となく晴れ着で100人以上の学生が集まった。「集まったんだから卒業式をやるか」となり、何人かの先生と即席にハンドマイクであいさつしました。ひどい風邪で声が出ないので、書いてきた祝辞はあとでツイッターで流しました。2011年、大学は弱気になって門を閉じた。そのことを大学教授として謝罪します。ごめんねと。
学生たちがこれからどういう世界に旅立って行くかについても書きました。大学はこの30年間で高等教育機関から普通の機関に変わり、学生はエリートから普通の人になりました。
僕が大学で教えている14年間でも変わりました。よく言うのですが、飲み会が開けなくなった。みんなバイトが入っていてスケジュールが合わないから。生活費や学費のためです。バイトの合間をぬって学校に来ている状態です。
就職活動では、安く買いたたかれる。企業が望む人格であるふりをする。ふりをし続けると精神がゆがんできます。そこに彼らを送りこまなくてはならない。
恵まれた時代の我々と異なり、いまの学生たちは厳しい条件の中で生きていかざるを得ないのです。こうしたことに、僕は大学に来るまで気づかなかった。自分に関係がないから興味がなかったのです。こうやって社会は分断され、バラバラにされてゆきます。
マイノリティー、子どもたち、外国の方が直面することに興味を持つようにしてください。それは、私たち自身に関わりがあることなのです。来たるべき世代に善きものを残すためにも。
*
たかはし・げんいちろう 「優雅で感傷的な日本野球」(三島由紀夫賞)、「さよならクリストファー・ロビン」(谷崎潤一郎賞)。2011年から16年まで朝日新聞「論壇時評」を担当。近著に「ゆっくりおやすみ、樹の下で」。
■トークセッション 被災地でボランティア、続く信頼関係
トークセッションでは、東日本大震災でボランティア活動を経験した、明治学院大卒業生の島澤朱(しまざわあけみ)さんが登壇。所属するゼミの先生だった高橋源一郎さんが、ボランティア活動から学んだことを聞いた。
島澤さんは東日本大震災が起きた2011年に入学した。被災地を「画面ごしに見るのではなく、自分の目で見て覚えておきたい」と学内のボランティアセンターを訪ねた。仲間たちと岩手県大槌町の吉里吉里(きりきり)地区に通うことになった。
「何人ぐらいで? 活動は?」。先生は短い質問をする。教え子は「流れた廃材からまきを作ったり、独特な方言がある吉里吉里語を電子データに打ちこんだり」と、懸命に思いだしながら答える。高橋ゼミではこのような問答で考えを深めるのかと、聴衆に想像させた。
震災後から毎月30人ぐらいの学生が吉里吉里に通った。今も地元の祭りに参加し、交流が続く。島澤さんは「若い子が震災を経験してあっという間に大人になる。大人のような何かを背負っている子がいる」と、被災地で感じた。
独自の文化を保つ吉里吉里は人の結びつきが強く、都会の人間には入りこみにくい。だが今では高橋さんが訪ねたときも「あんた島澤さんの先生だっぺ」と言われるほど、島澤さんは信頼されているという。
島澤さんは「プリクラとかメイクとか高校までの生活圏以外を想像できるようになった」と学びを語る。地元の人から「吉里吉里であなたたちが感じたことを、自分の現場に持ち帰りなさい」と言われたことが、強く印象に残っている。
先生は「知らない世界がある。これって、ほんとうは大学が教えること。それを大学の外で教わった。大学教授としては寂しい半面、出撃基地にはなったので良かったと思う」とまとめた。先生はうれしそうだった。
■パネルディスカッション
増田ユリヤさん ジャーナリスト
猪瀬浩平さん 明治学院大学教養教育センター教授
黒澤友貴さん NPO法人ぱれっと理事
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基調講演で提起された社会の分断について、高橋源一郎さんら明治学院大ゆかりのメンバーが討議した。(進行は一色清・朝日新聞社教育コーディネーター)
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――どうやれば社会の分断を埋めていけるか。まずは皆さんの活動の紹介を。
増田 直近ではドイツで取材した。極右団体が集会を開くというので行ったが、極右の人よりもそれに反対する人たちの方が多かった。なかには14歳の子もいた。シースルーのヒジャブ(イスラム教徒の女性が髪を隠す布)を身にまとい、宗教は違っても中身はいっしょだと訴える高校生もいた。取材を通して、若い人たちは分断ではなく、対話を望んでいると気づいた。彼らは小学校から高校まで、第2次世界大戦で犯した過ちを絶対に繰り返してはいけないと聞かされる。そういう教育が根っこにある。
猪瀬 教養教育センターで全学部の学生にボランティア学を教えている。私の兄は知的障害のある自閉症といわれている。両親は団塊世代、学生運動真っ盛りの時代の人で、私も自己主張が強く、家族で話しても会話が成り立たない。そのなかで兄は積極的にしゃべるわけではないが、その存在はすごく大事。兄がいなかったら家族はバラバラになっているのではないかと感じる。生産力至上主義の価値観では見えない人間の側面、役割を見ていく必要があると兄に教えてもらった。
黒澤 私は企業で働きながらNPOにかかわっている。私が学生時代からかかわっているNPOは、障害がある人とない人がともに暮らすシェアハウスを運営している。自分もそこに2年間住んだ。勤めている会社では視覚障害のある方にウェブサイトのデザインにかかわってもらい、見えない立場としてどういう課題があるのかを出してもらっている。NPOで障害者と出会い、それを自分の仕事にもつなげていく。さらに企業で働く自分自身の専門性をNPOで生かしている。
高橋 次男が幼いころ病気で危篤になり、医者から重篤な障害が残ると言われました。結局、奇跡的に回復しましたが、言われた直後は大変なショックでした。でもそのとき、私はかつてないほどの高揚感を感じた。彼を守って生きていこうと思った。同じように家族が次々と病気で倒れてダメだと思ったとき、生涯で一番パワフルになったという話も聞きました。
弱者には、人を変える力がある。弱さの強さというか、社会を変える力もこの弱さではないか。強い者が真ん中に集まり、弱い者を外に排除することが分断の正体だが、強い人と弱い人をまぜてしまえばいい。
――分断の背景には何があるのか。
増田 歴史が大きい影響を与えている。ドイツについて言えば、昨年総選挙があって、極右政党が94議席もとるという歴史的大転換が起きた。もともと統一したドイツに不満を持つ人は一定数いたが、トランプ米大統領の誕生で、自分たちも声を上げていいという流れになった。ドイツ統一後も東側で貧しかった人たちは、難民が手厚い支援を受けるのを見て、自分たちは不利益を被っていると感じた。難民たちへの不寛容を前面に出すようになった。
――ビジネスとボランティアにも分断がある。それを埋めるには?
黒澤 企業の場だけで働くのでは、思考が狭くなる。よりよいサービスを提供していくためにも、NPOにかかわるなど、自分の業界や会社から遠いところとつながって、新しい発想で何かを変えていくことが必要。義務感でなく、自分のキャリアをつくるためという発想で、自然にそうしたことをできる人が増えれば、分断もなくなっていくのではないかと思う。
猪瀬 私の福祉農園に来ていた人で、建築士として活躍した方がいる。ボランティアに来たころは、昼食も障害のある人と一緒に食べずに、別の所で食べていた。それが1年間すごすと、交流を楽しんでくれるようになった。農園の井戸の小屋が壊れた時には、「おれが設計するよ」と言って、障害のある人らと強固な小屋を作った。大企業の経済システムでしか回収されなかった技術や経験が、地域の人たちにつながった。
高橋 今の社会は男性に生産スキルしか教えないから、定年を迎えたら即、「粗大ゴミ」になる。男性は分業社会の果てにいる。ボランティアはその分業を解除していく。ボランティアは何かの仕事の一部でなく、それが社会を結ぶひもになると思う。
いま学生は勉強しない、本を読まないと言われるが、センスはすごくいい。ぼくらの時代はボランティアに行く学生なんていなかった。自分のことで忙しくて。他者への貢献は今の子の方が知っている。
――最後に一言。
増田 報道は激しいものほど目立ちます。激しいことをいう人の声が大きく聞こえてきますが、若い人たちは真実を見て、自分たちに何ができるかということを考えて、そこに向かって進んでいる。悲観はせず、そこに希望をかけたい。
猪瀬 何か困ったことを言っている若者や空気を読まず発言している若者を、かわいがって頂きたい。そういう子が育つことが社会の多様性を支えていくのだから。
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ますだ・ゆりや 国学院大学卒。明治学院高校などで社会科を27年間教えつつ、NHKのリポーターを務めた。テレビ朝日系「グッド!モーニング」などに出演。近著に池上彰さんとの共著「ニュースがわかる高校世界史」。
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いのせ・こうへい 埼玉県出身。見沼田んぼ福祉農園事務局長、NPO法人「のらんど」代表理事。著書に「むらと原発」など。2019年3月に「分解者たち:見沼田んぼのほとりに生きる」を刊行予定。
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くろさわ・ともき 2011年明治学院大学卒。大学で「ボランティア学」を受講し障害者支援に参加。執行役員を務めるブランディングテクノロジー株式会社では障害者と協力する商品開発や雇用支援、CSRを担当。
■他者への貢献、自分も成長できる 会議を終えて
「Do For Others(他者への貢献)」。創設者のヘボン氏が残した教育理念だ。学内にボランティアセンターがあるのも、この理念の実践のためだ。
今の世界はこの教育理念とは正反対の「分断」がキーワードになっている。分断の裏には排除の思想がある。自分と違う者を排除して、似た者とだけ仲良くしようとする。今回のテーマは、排除するのではなくつながろうよ、ということだった。
つながるためのヒントはたくさんあった。まずは関わってみること。例えば障害のある人とない人の溝を埋めるには、一緒に作業をしてみたり暮らしてみたりすればいい。弱い立場の人こそ強い立場の人を変える力があるということを知ることもできる。ビジネスとNPOの両立だって、お互いに役立つと分かれば、長続きする。
若者への期待もある。他者に貢献すれば自身も成長する。多様な価値を知り、寛容にもなる。そんな若者が増えれば、分断の溝は少しずつ埋まっていくのではないか、と思った。
(一色清)
<明治学院大学> 幕末の1863年、ヘボン式ローマ字で知られる米国人宣教医師ヘボン博士夫妻が英学塾として開学。横浜と東京・白金のキャンパスに6学部。ヘボンが生涯貫いた「他者への貢献」を教育理念に掲げる。阪神・淡路大震災を機にボランティアセンターを学内に設置。東日本大震災の復興支援にも多くの学生が参加する。
■朝日教育会議
国内外で直面する社会的課題への解決策を模索して広く発信することを目指し、15大学と朝日新聞社が協力して開催するシンポジウムです。今月16日まで、1大学1会議で開催しました。各会議の概要は特設サイト(http://manabu.asahi.com/aef2018/)から。
共催大学は次の通り。
青山学院大学、神奈川大学※、神田外語大学※、関東学院大学※、京都精華大学※、聖路加国際大学※、拓殖大学※、中央大学、東京工芸大学、東京女子大学、二松学舎大学※、法政大学、明治学院大学※、明治大学、早稲田大学(50音順。※がついた大学は、新聞本紙での詳報掲載は一部地域)
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