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 ことしは日本政治史に大きな汚点を残した。

 財務省による組織的な公文書の改ざんと廃棄である。国会と国民を欺き、歴史を冒涜(ぼうとく)する。民主主義の根幹をずたずたにする大事件だった。

 それなのに、安倍首相は麻生太郎財務相を続投させた。麻生氏もみずから身を引くことはなかった。

 未曽有の不祥事でも、政治責任を取らない。悪(あ)しき前例をつくってしまった。

 ■麻生財務相の居座り

 「私や妻が関係していれば、首相も国会議員も辞める」

 安倍首相のこの国会答弁の直後から、森友学園との土地取引に関する公文書の改ざんが始まった。昨年2月のことだ。

 朝日新聞が今春に報じて発覚した。だが、その後の財務省の調査はおざなりだった。

 国有地がなぜ8億円も値引きされたのか、問題の核心は不明のまま。学園の名誉校長をつとめた首相の妻昭恵氏から直接、話を聴くこともなかった。

 改ざんは国有財産を所管する理財局内であったとして、当時の理財局長ら20人を処分した。麻生氏は1年分の閣僚給与170万円を自主返納するだけだ。

 行政への信頼を失墜させながら、その重い責任を政治家が正面から受けとめず、もっぱら官僚に負わせる。

 これでは、社会全体のモラルが崩れてゆく。

 ただでさえ、麻生氏については、閣僚としての見識を欠く言動が相次いだ。

 改ざんの方向性を決定づけたとされる幹部を「適材適所」と評価し続ける。財務省の調査ではっきりしなかった改ざんの動機を問われ、「それが分かりゃ苦労せん」と言い放つ。財務事務次官のセクハラについても、「はめられて訴えられているんじゃないか」。

 ■問われる閣僚の資質

 この1年、安倍政権の閣僚は多くの問題を引き起こした。

 しかし、麻生氏が重要ポストに居座ったことで、閣僚たちがおのれの責任を軽んじる風潮がまんえんしたように見える。

 柴山昌彦文科相は就任早々、「教育勅語」を「道徳などに使える」と発言した。片山さつき地方創生相は政治資金収支報告書を短期間に4度も訂正した。河野太郎外相は記者会見で4回続けて「次の質問どうぞ」と記者の質問を無視した。

 答弁の粗雑さも目立った。

 野党の質問をはぐらかし続ける加藤勝信厚労相(当時)らの手法は、パンは食べたが米は食べていないので、「朝ご飯は食べていない」と答える「ご飯論法」と命名された。

 山下貴司法相は、外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法改正案の審議で、技能実習生が法令に反する労働環境に置かれていたのを隠すような説明を繰り返した。

 閣僚の野放図さに加えて、与党の強引な国会運営が、立法府の空洞化をさらに進めた。

 働き方改革法も、参院の定数6増も、カジノ実施法も、入管法改正も、噴き出た異論や慎重論をねじ伏せて採決を強行し続けた。

 これまでも安倍政権は、特定秘密保護法、安全保障関連法、「共謀罪」法などを「数の力」で成立させてきた。その手法が極まった観がある。

 ■42年前の警句いまも

 政治責任をないがしろにする政治は首相自身がつくった。

 森友・加計問題について、いまだに国民が納得できる説明をしていない。森友問題では「贈収賄はないという文脈で関わっていない」と述べ、責任を限定する構えを示した。

 しかし、刑事責任がなければいいという話は通じない。国民の負託を受けて公権力を行使する政治家には、より幅広い政治的道義的責任が求められる。

 現状に通じる警句がある。

 「政治責任が有効に機能しないところには民主主義が存在しない」

 憲法学の杉原泰雄・一橋大名誉教授の言葉だ。42年前のロッキード事件の際に発せられた。疑惑をもたれながら刑事責任までは問えない「灰色高官」が話題になったころだ。

 時代状況は違うが、安倍政権のもとで、民主主義はいま危機的状況に陥っている。

 典型例が、国会での採決強行や沖縄の辺野古の海への土砂投入だ。「上意下達」で異論を切り捨てる姿勢は、少数意見も尊重し、自由な討議を通じて政策や法律を練り上げる民主主義のあるべき姿からはほど遠い。

 それでも政権への支持は底堅い。朝日新聞の12月調査でも内閣支持率は40%あった。

 理由は「他よりよさそう」が圧倒的だ。経済はそれなり。野党は頼りない。だからとりあえず現状維持でいい、ということなのだろう。

 だが、年の瀬に改めて問う。

 政治責任を顧みず、「多数に従え」という政治を、来年も続けますか。

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