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 平成最後の天皇誕生日、一般参賀。2時間半立ちっぱなしで待ち続け、11時50分、さあ、いよいよ。

 「天皇陛下万歳!」

 声を上げたのは、民族派新右翼団体「統一戦線義勇軍」議長の針谷大輔さん(53)。朝6時半までタクシーに乗務し、30分仮眠して駆け付けた。「万歳!」。メンバーが後に続くが、広がりはない。会場を満たすのは日の丸の小旗が振られる音。パタパタパタ。皆が息を合わせて振り、下ろし、お言葉に静かに耳を傾け、粛々と帰途につく。

 ■格差拡大と「成熟」

 「最後だから、実物を見てみたいと思って」と話す、平成元年生まれの女性2人組。「こんな大変なイベントとは思ってなかった」と、ディズニーランドの待ち時間と比較していた20代前半くらいの男性グループ。

 熱狂はない。屈託もない。

 「つまり、『自然』ってことですよ」。針谷さんは滔々(とうとう)と語る――世の中は足早に変わる。人は自分の存在意義がわからず不安になる。冷戦が終結し、災害が頻発した平成は特にそう。でも、陛下は変わらずいて下さる。安心する。ありがたいと思う。それはごく自然な感情でナショナリズムとは違う。あなたたちリベラルは、そういう感情を否定しすぎた、だから今、力を失っているんですよ――。

 どう答えるか思案するうち、皇居外苑で記帳を待つ長い列に行き当たった。針谷さんがつぶやく。「この列の長さは、不安の深さなのかもしれませんね」

 この日集まったのは8万2850人。平成で最多だった。

 今年話題となった「新・日本の階級社会」。著者の橋本健二・早稲田大教授は「格差社会」という言葉が認知された最初の例は、1988年11月19日付の朝日新聞社説「『格差社会』でいいのか」ではないかと書く。元号が平成になる約2カ月前、時はすでにバブル。昭和最後の国民生活白書は、国民の格差に対する意識は「成熟化しつつある」とした。多くが「格差は拡大した」と実感していたが、個人の選択や努力で生じた格差は容認する傾向が強い、と。

 社説はこれを真っ向批判した。「資産課税の強化を求める声を、『女こどものひがみ』と切り捨てた政治家がいた。ひがまないのを成熟した『おとなの意識』というのなら、未熟の方がましだ」

 そして、30年。バブルの崩壊、就職氷河期、ワーキングプア……。個人の選択や努力では覆せぬ理不尽に、当事者も傍観者も仕方ないと独りごち、社会は熟した。いびつに、過剰に。

 ■残酷な個別化の浸透

 90年代半ば以降、日本の若者は雇用環境や労働条件の変化に翻弄(ほんろう)された。一方、経済の低迷や閉塞(へいそく)の原因は若者の「劣化」だとの言説が広まった。「ニート」批判はその典型だ。

 「結果、若者の雇用状況に対する政策的な対処が極めて不十分なものにとどまり、個々人のサバイバルを称揚する社会的風潮が色濃くなった。罪が深い」と、教育社会学者の本田由紀・東京大教授は話す。さらに、学校教育へのてこ入れも強化される。その基盤は2006年、安倍政権のもと、教育基本法の改正によって整えられた。

 幸福度や満足度は高いが、自己否定的。自分の能力だけで生き抜かなければと強迫観念を持ち、能力がないやつがどうなろうと知ったことではない、現状に不満はあっても変えようなんて思えない――そんな「残酷で個別化された意識」が、平成の若者の間に広く深く浸透していると本田さんは見る。ただし、若者はただバラバラにされているだけではない、とも。

 ■「自然」ってなに?

 こんなデータがある。福岡県の高校生約1600~1700人を対象に、01年、07年、13年に実施した調査結果によれば、「日本の文化や伝統は他の国よりも優れている」を肯定するのは29%→38%→55%。「行事の際に国歌・国旗を用いるべきだ」を肯定するのは、17%→26%→39%だった(友枝敏雄編「リスク社会を生きる若者たち」)。

 「つまり、『自然』ってこと」。その言葉を反芻(はんすう)する。

 天皇は、国民統合のあくまで「象徴」である。この社会のあちこちにある亀裂や分断線を修復し、「共に生きている」という安心感を醸成する責任は政治にある。ところが今、その役回りを象徴天皇に背負わせてしまっていないか。人々が抱いている不安や不満から目をそらし、力で抑え込むことさえいとわない安易かつ無責任な政治のもとで、もしなにか生きづらさを感じるのなら、声をあげ、政治に責任を果たさせる。それこそが「自然」ではないだろうか。

 もうすぐ平成が終わる。

 この先、なにがどう変わるのか、それはわからない。ただ、「こんな社会にしたい」という意志を持つことなしに、自分たちが望む社会は生まれ得ない。

 そのことだけは、確かだ。

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