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 世界は一夜にして、がらりと変わることがある。

 1989年11月の「ベルリンの壁」の崩壊は、まさにそんな出来事だった。翌月、米ソ首脳が地中海のマルタ島で会談し、「冷戦の終結」が宣言された。

 東西の分断から、一つの世界へ。その希望に満ちたうねりの原動力になったのは、民主主義と自由をはじめとする理念だった。あれから今年で30年。世界はいかに変わったか。あのときの理念はどこへ行ったのか。

 ■試されるEUの理念

 ベルリンの壁が崩れた翌日、東ドイツに住んでいた35歳の女性物理学者が、西ベルリンにある高級デパート「カーデーヴェー」を訪れた。

 「見るものすべてが新鮮で、欲しいものばかりだった」

 彼女の名前はアンゲラ・メルケル。のちに統合ドイツの首相となったメルケル氏は、その日に「自由」というものの大切さを心に刻んだと語っている。

 冷戦後、欧州は統合の流れを加速させた。欧州連合(EU)は民主主義と自由の原則のもとに拡大を続けた。主導的な役割を果たしたのは、メルケル氏のドイツだった。

 ところが近年、EUの歩みは混迷している。背景にあるのは、移民問題を機に各国で高まった排外的なポピュリズムやナショナリズムだ。「民主主義の後退」との言葉も聞こえる。

 EU脱退で揺れる英政権、労働者らのデモが続くフランス。メルケル氏も昨年、地方選の敗北などで党首を辞任した。

 ブルガリアの政治学者イワン・クラステフ氏は近著で、EUの今後を憂えている。

 いわく、欧州の理念はまるで日本の携帯電話技術のように「ガラパゴス化」している。質の高さに自己満足しながら世界には普及せず、隔離された進化にとどまっていないか――。

 ■理想と現実の相克

 ユーラシア大陸の反対側に目を転じれば、89年に中国で天安門事件が起きた。民主化を求めた学生らが武力弾圧された。

 国際社会はそれでも、中国の経済発展を後押しした。「豊かになれば、民主化が進む」。そう信じたからだ。

 だが、今に至るも中国に政治改革は見えない。世界第2の経済大国になってなお、共産党の一党支配は強固になっている。対外的に軍事や金融パワーをふるう拡張路線も目立つ。

 呼応するかのように、米国では「力による平和」を唱えるトランプ政権が登場し、中国との対立の色を深めている。

 皮肉なのは、かつて中国の民主化を画策した米国が、自らの民主主義を傷つけ、世界の自由への関心も失っていることだ。

 ロシアのクリミア併合をはじめ、法の支配にも揺らぎがみられ、各地で自国第一主義が広がっている。トルコやブラジル、フィリピンなど、民主的な選挙制度の国で、強権的な指導者が続出している。

 冷戦を勝ち抜いたと思われた民主主義と自由の理念が今や、敗北しようとしているのか。

 英国の歴史家、E・H・カーは、国際政治において理想主義は常に現実主義に否定されてきたと指摘した。ただ、現実の追認だけでは何も生まれないのも歴史の教訓だという。

 だから、理想は絶えることなく語られなければならない。なぜならばそれは「人間の思考がはじまる本質的な基盤」だからだ、とカーは説く。

 敗戦後の日本は国連加盟を果たした翌年の57年、初めての「外交青書」を発表した。このなかで示された3原則は、(1)国連中心(2)自由主義諸国との協調(3)アジアの一員としての立場の堅持――だった。

 実際には歴代政権は対米追随にほぼ終始してきたが、3原則は長らく日本外交の大方針であり続け、今も色あせない意味合いを持つ。

 ■戦後日本と国際協調

 なかでも、国連などの多国間枠組みを軸とする国際協調主義は、戦後日本の外交の芯とも言うべきものだ。

 強国が力で何かを決めるのではなく、多国間で話し合い、合意でルールを決めていく。戦争という最も露骨な力のぶつかり合いを経験した日本にとって、それは目指すべき国際社会の姿にほかならない。

 今、米国がその国際主義に背を向けるならば、日本はこれを正すべきである。過度の対米依存を見直し、EUとの連携を深めたい。欧州の理念を「孤立」させず、共通の原則を守る責務を日本も果たさねばならない。

 安定的な平和秩序づくりが求められるアジア外交も、強化するときだ。多極化する世界に広く目配りし、筋の通った外交が紡げるかが問われている。

 民主主義と自由はいわば、理想社会の実現を信じる永遠の営みであり、現実の壁に屈しない挑戦の道程に価値がある。世界が変化の波に洗われる今だからこそ、理念を見失うことのない日本外交を築きたい。

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