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 世界の金融市場は、株価下落が続くなかで2018年を終えた。景気の息切れという循環的な動きを超えて、経済成長を支えたグローバル化が反転するのではないかとの予感も漂う。

 ただ、日本経済に目を転じれば、ことはそう単純ではない。

 経営者の高額報酬と外国人労働者受け入れの拡大。巨大IT企業の規制や中国通信機器大手への対応。昨年終盤に議論された多くの出来事は、世界市場と国内経済の接点を舞台にしていた。いずれにも日本経済の今後を考えるうえで、試金石になる内容が含まれる。

 ■国際化の局面変化

 第一は、「モノ」「カネ」に続いて「ヒト」が国境を越えることの影響の本格化だ。

 高額報酬が注目された官民ファンドの経営者や日産のカルロス・ゴーン前会長は、国際的な市場で活動してきた。報酬にも「国際相場」が意識される。

 一方、外国人労働者は、海外から日本の労働市場に参入する。政府は「報酬額は日本人と同等以上」を基準にする方針だが、業種によっては低賃金依存が続く懸念が拭えていない。

 多様な人材の力を生かすことは、人口減少の進む日本経済にとってプラスになる。だが、制度の設計や運用次第では、報酬・賃金の格差が上下に引き伸ばされる可能性をはらんでいる。

 第二は、世界経済の環境の変容だ。冷戦後のグローバル化は自由貿易の拡大を掲げてきた。それが今や米中の覇権争いの様相を帯び、保護主義的行動が公然と繰り広げられる。

 デジタル革命の進展でプレーヤーも変わった。米国発のグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルなどの「プラットフォーマー」が人々のデータを握りつつある。中国企業も、国家との距離があいまいなまま、存在感を高めている。

 米国と中国は、民主主義と自由の有無で大きな違いがある一方で、不平等の拡大と巨大な独占・寡占企業の存在では相通じる点もある。その浸透力が、世界に広がっている。

 ■「成長戦略」の限界

 翻って日本経済の位置も変わった。GDP(国内総生産)の規模で中国の半分以下になっただけではない。購買力換算の1人当たりGDPをみれば、米国やドイツとの差が縮まらない一方で、台湾に抜かれ韓国がほぼ同水準に迫る。中国も日本の4割まで伸びた。単純な比較はできないが、もはやアジアで抜きんでて豊かな国ではない。

 バブル崩壊後の日本経済を苦しめてきた景気停滞とデフレは一段落させることができた。だが、企業の高収益の一方で「品質不正」が相次ぎ、経済の基礎体力をあらわす潜在成長率も大きくは上がっていない。

 現政権は様々な「成長戦略」を掲げてきた。最新版は、情報社会の次の段階を意味する「ソサエティー5・0」だ。一つの未来図ではあるだろう。

 ただ、新産業の創出や生産性の向上は、市場の競争のなかで個々の企業が達成するのが基本だ。一国での計画経済が成り立つかのように、過剰な期待を寄せても空回りしかねない。

 政府の役割は民間経済の足場を整えることだ。その際重視すべきは、経済の基盤となり、かつ経済活動を通じて目指す「社会のあり方」である。

 ■格差や独占を超えて

 内外の人々の生活の豊かさを増し、広げていくために、「ヒト」も含めた国際化は本来望ましい道筋だ。だが、報酬や賃金が世界市場の水準に野放図に引き寄せられれば、国内での不平等も拡大してしまう。最適点を模索するには、正面からの議論が必要だ。法制度の問題であると同時に、企業の経営者や従業員、株主の判断も問われる。

 不平等や独占の拡大は、社会の不安定化や技術革新の阻害を通じ、中長期的には経済成長への逆風になりうる。社会のあり方として、中国はもちろん、米国型の負の側面も漫然とは受け入れがたい。一部の海外企業をいたずらに問題視するのではなく、日本社会が何を許容できないのかを具体的に議論し、合意形成をしていくべきだろう。

 欧米でも格差拡大やデータの独占に歯止めをかけようという動きは広がっている。中国社会や途上国にも不満は潜在する。より良い社会の実現へ、連携・協力する余地はあるはずだ。

 市場が生み出す技術革新や効率化の果実を享受しつつ、景気を安定させて失業を減らし、社会保障と再分配を強化する。市場が十分に果たせない教育や基礎研究を充実させ、インフラを保つ。強者が不当な利益をむさぼることのないよう、公正な競争のためのルールを整える。

 当たり前のことばかりだが、社会の中でその必要性を常に確認し、共有していかなければ、荒波が強まる世界経済の中では足元を掘り崩されかねない。

 経済を外に開くからこそ、どんな社会をつくるかという構想力が一段と求められている。

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