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 ■法政大学×朝日新聞

 江戸文化は多くの小規模な共同体が担い、個人は異なる名前を使い分けた。現代ではネット上に第二の自分「アバター」をつくり、交流している。法政大学は、第13回となる朝日教育会議を企画。江戸時代から現代へと通底する日本人の共同体と個の関係を、多様性「ダイバーシティー」という切り口から探った。

 【東京都千代田区の同大学で昨年12月9日に開催】

 ■基調講演 江戸時代、文化を深めた「複数の私」 法政大学総長・田中優子さん

 法政大学は「ダイバーシティ宣言」を掲げた。多様性を認め合う社会。そこへ向かっていくための一助として「複数の個人」、すなわち「アバター」というものの存在に注目してほしい。

 アバターとは元々、インド神話の神様・ビシュヌ神の異なる10の化身のことだ。最近は、ネット上のコミュニケーションツールの一つとして、ユーザーの分身となるキャラクターのことを呼ぶ。

 本日は「江戸文化とアバター」と題し、江戸時代を現代世界へ通じる社会としてとらえ、未来を考えたい。

 江戸時代には「連」というものがあった。何かを創造するとき、人々は何人かで集まっていた。

 例えば浮世絵。江戸中期以降に世界最高の色彩印刷技術を持つようになった。これは、連の新しい技術開発が功を奏したからだ。連は適正な規模を保ち、組織化しない。大きくても20人以下。一つの組織が大きくなるのではなく、小さな組織が増えていく。リーダーはいるが、コーディネーター的な役割を受け持った。おカネではなく何かを一緒につくるために動き、他の連とも交流していく。存続を目的とせず、つくり終わったら解散。いろいろな年齢、階層、職業が交じる。特徴的だったのが「多名」。一人が多くの名前を使い分けた。「個人の中の複数の私」という様々な能力を、それぞれ別個のものとして名づけていたのだ。

 例えば、ある武士は幕臣として仕事における役割をこなしつつ、他の名前を用いて、通常の仕事とは異なる様々なものに属する自分を存在させていた。

 日本中に「連」「社」「組」「座」などという、「仕事ではない組織」がたくさんあり、それらに属する狂歌師や画家などといった自分が複数いる構造だった。

 町人も同様。たばこ入れ屋の旦那だった山東京伝は、浮世絵師、作家、狂歌師でもあり、様々な名前を持っていた。浮世絵師としては北尾政演という名前で絵を描き、漫画本である黄表紙の作者として何冊も出している。『御存商売物(ごぞんじのしょうばいもの)』では、夢の中という設定で、黄表紙のライバル「黒本」「赤本」が人間になって活躍する。本が作者自身の複数のアバターと化し、自分とは別の存在になっていろんな展開をしていく。単なる擬人化というより、むしろアバターといっていい。

 最たるものは落語だ。落語家は一人で何役も演じる。例えば「粗忽(そこつ)長屋」。熊五郎が行き倒れた「自分の死体」を抱き上げ、「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう」。奇妙な落語だが、人が簡単に分裂しても平気な世界。江戸らしい。

 江戸の社会には非常に多様な人々がいて、それが「普通か」「普通じゃないか」という分け方はしなかった。落語の演目の中にもダイバーシティーな存在があった。そんな江戸文化のアバターと、現代のネット世界のアバター。それらは時代を超えてつながる存在、まさにダイバーシティーだ。

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 たなか・ゆうこ 法政大学総長・江戸文化研究者 法政大学文学部卒業、大学院人文科学研究科修士課程修了、博士課程単位取得満期退学を経て、同大学教員。2003年に社会学部教授、12年に社会学部長。14年から現職。

 ■講演 仮想世界のアバターが示す豊かな世界

 仮想世界の「分身=アバター」が、豊饒(ほうじょう)な世界を表現することもある――。「アバターで見る知の多様性」と題し、池上英子・米ニュースクール大学大学院社会学部教授が講演した。

 1990年代後半、アメリカのシリコンバレーでは「ニューロダイバーシティー」(神経構造の多様性)という言葉が生まれた。エンジニアのなかに、プログラムのバグをいち早く見つける人がおり、その一部に発達障害・自閉症スペクトラムの人がいたという。池上さんは、ネット上の仮想世界に自身の研究所をつくり、さらに自身のアバターを使って、彼らと交流を試みた。

 さらに自閉症アバターたちの交流会にも100回以上参加した。アバター間の交流は対面の聞き取り調査と異なり、緊張感を覚えにくいのも特徴。ある男性は5人ものアバターを駆使し、「僕の世界が知りたいのなら、僕のつくったビックリハウスにおいで。中に130の部屋がある迷宮だよ」と池上さんを誘った。池上さんがネット上の彼の家を訪れてみると、時間が曲がっていたり、光のトンネルのような部屋だったり、彼の主観の世界、彼が見て感じる世界がアートで表現され、迷路のようになっていたという。

 「驚きました。現実生活で不適応や障害に悩んでも、こんなに豊饒な精神世界を宿す場合がある」

 池上さんは実は江戸文化も研究している。西洋の個人主義と異なる、しなやかで自由なアバターの分身主義に引かれたという。アバターの世界に映る多様性を知るようになれば、自分の中にある、世間にはまらない部分を発見できる。池上さんは「そこを肯定していけば、もっと気楽に伸び伸び生きられるはず」と力説した。

 多様性とはこれまで、文化や人種、ジェンダーなどで様々な価値を発見することだった。「いま、多様性は創造性とリンクしていることを痛感している。一番のフロンティアは我々の頭の中にある。人間のインテリジェンスの多様性に可能性を見いだし、目を向けてもよいのでは」という。

 ■パネルディスカッション

 柳家花緑さん 落語家

 池上英子さん 米ニュースクール大学大学院社会学部教授

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 パネルディスカッションでは「江戸から未来へ」をテーマに掲げ、多様な人々の第二の自分「アバター」の可能性について探った。(進行は一色清・朝日新聞社教育コーディネーター)

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 ――まず、第3部からご登壇の柳家花緑さんから一言。

 花緑 池上さんに「落語そのものがアバターですよね」と言われた。いろんな人間になるということは、既に自分の中にアバターを持っているのかもしれない。新しい視点だった。私には発達障害(識字障害)がある。障害のことを私が知ったのは2013年の夏。自分が社会性に劣るという意識を常に持ちながら落語家として活動してきたが、自由を手に入れたような気持ちになった。

 ――いろんな自分を名乗った江戸時代の「連」は、どうして廃れたのでしょう。

 田中 「自己統一性」や「近代的な自我」、一人の自分に統合しなければならないという価値観が生まれたのだろう。現在は自己責任の時代。一つの役割に固執し、「自分は自分でいなくちゃ」という社会になってしまった。

 ――落語の粗忽者や与太郎は結構愛され、社会の潤滑油的な存在として描かれています。

 花緑 「粗忽長屋」は私の祖父・小さんの十八番。江戸の人たちが彼らを受け入れていたことは確か。しかも、それを「いじめ」ではなく、「バカだなあ、お前は」と笑い飛ばしている。

 田中 与太郎の話によく出てくるのは、恵むことではなく「あいつ、ちょっと仕事させてやろうか」という助け方。格差は当然あるが、みな働いていきいきとしている。腕のいい職人は尊敬されていた。現代の私たちの価値観は、どちらかというと収入に重きを置く。そこが違う。

 ――アバターについて、自閉症の人たちがその世界で自然に振る舞えるのはなぜでしょうか。

 池上 自宅の心地良いソファの上でコミュニケーションできるから。もう一つは、アバターは今のところ表情をあまり変えられない。彼らの中には、表情を読んだり目を見たりするのが苦手という人がいる。表情の変わらないアバターの世界では、コミュニケーションが平等になる。

 ――池上さんの講演では「いろんな自分がいるけれども、上手にスイッチしていくことが大事」とありました。どういうことでしょうか。

 池上 私たちは生活の中で、趣味や仕事など、いろいろなアバターを社会との接点で使い分けている。そのスイッチを上手に切り替えたり、場を選んだりすることもできる。切ってしまうこともできる。全体の調和がとれるよう、コントロールしながら切り替えていくというのが、人生そのものかなあと思う。

 ――江戸時代には地方ごとに特色があり、独特の文化がありました。今、どうも日本は世界一律という解釈で、教育もそのように進めていますね。

 田中 法政大学は「スーパーグローバル大学」として進めていく際、「ダイバーシティ宣言」をした。グローバルとダイバーシティーは表裏一体。日本のなかでも地域の違いがある。その素晴らしさを見つけながら、「国際化とは多様化だ」という意識を持っていくことが大事だ。

 ――それを、どう未来へつなげたら、私たちの社会にとって良いのでしょうか。

 田中 江戸時代の文芸・文学者たちは平安時代の名前を名乗った。つまり別の時代に飛びたい。どんな時代の人も思うのだろう。時代、空間、役割、いろいろな「別の」、今の自分じゃない要素を持つことにより、より良い生き方ができるかもしれない。自分のなかの多様性を存分に生きるという感覚だ。

 池上 未来のために、どんな才能や認知の特性、文化の資源がいいのかなど、誰にも分からない。一つの方法としては、ダイバーシティーを担保することだ。ダイバーシティーを認める社会なら、どこかで化学変化が起き、それまで大事だと思っていなかった特性が生きる社会になる。

 花緑 みなさんも落語をやってみればどうか。自分の中のいろいろな人間に悩みを言わせ、文字にしたものを改めて演じてみると発散になり、違う視点が生まれるかもしれない。これからの時代、落語じゃないですか、みなさん(会場拍手)。オチをつけ、笑い飛ばせれば、混沌(こんとん)とした世の中も生きやすくなるかもしれない。

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 やなぎや・かろく 落語家 1987年、中学卒業後、祖父・五代目柳家小さんに入門。戦後最年少の22歳で真打昇進。スピード感あふれる歯切れの良い語り口が人気で、古典落語はもとより劇作家などによる新作落語にも意欲的に取り組む。

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 いけがみ・えいこ 米ニュースクール大学大学院社会学部教授 ハーバード大学社会学部で博士号取得。イェール大学大学院准教授などを経て現職。近著に「ハイパーワールド:共感しあう自閉症アバターたち」(NTT出版)など。

 ■3人の話が一つに、議論の醍醐味 会議を終えて

 江戸とアバター。テーマを最初に聞いたとき、どこに接点があるのだろうと戸惑った。うまく話を盛り上げ、結論めいたところに着地できるだろうか、と心配になった。

 でも杞憂(きゆう)だった。3人のパネリストの話は、多様性という言葉でぴったり重なった。田中さんによると、江戸時代は、一人の人間がいくつもの顔を持つ時代だった。家にいる自分、俳諧などさまざまな趣味の世界にいる時の自分。名前も変え、一人なのに多様な自分を生きた。

 自閉症の人がネット上でアバターを操って別の自分になることを池上さんは研究している。多様性を持つことで生きづらさを和らげるところは、江戸の世界とよく似ている。

 柳家花緑さんは自分の学習障害について話した。文章を読むことが苦手で小中学校では苦労したこと。深刻になりがちな話をさすがの話術で笑わせながら披露した。人と違ってもいいのだ、というメッセージがよく伝わった。

 遠く離れた立場の人たちの話がひとつの方向に収斂(しゅうれん)していく。それが議論の醍醐(だいご)味かもしれない。(一色清)

 <法政大学> 1880年、法律の専門教育を目的に東京・駿河台に開設された「東京法学社」が起源。1920年、法政大学となり、法学部と経済学部を置いた。現在、15学部に約2万9千人(学部生)が東京・市ケ谷、多摩、小金井キャンパスで学ぶ。数々の研究機関を併設。2018年1月には「江戸東京研究センター」を新設した。

 ■朝日教育会議

 国内外で直面する社会的課題への解決策を模索して広く発信することを目指し、15大学と朝日新聞社が協力して開催するシンポジウムです。昨年9月から12月にかけて1大学1会議で開催しました。各会議の概要は特設サイト(http://manabu.asahi.com/aef2018/別ウインドウで開きます)から。

 共催大学は次の通り。

 青山学院大学、神奈川大学※、神田外語大学※、関東学院大学※、京都精華大学※、聖路加国際大学※、拓殖大学※、中央大学、東京工芸大学、東京女子大学、二松学舎大学※、法政大学、明治学院大学※、明治大学、早稲田大学(50音順。※がついた大学は、新聞本紙での詳報掲載は一部地域)

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