人間への理解、AI時代にこそ 朝日教育会議
■青山学院大×朝日新聞
AI(人工知能)が発達する中で大学がなすべき「学び」とは何か。朝日新聞社が15大学と協力して展開する大型教育シンポジウム「朝日教育会議2018」の14回目は青山学院大学。2018年春に「シンギュラリティ研究所」(シンギュラリティー=技術的特異点)を設立し、AIが社会に及ぼす影響について本格的な研究を始めた同大学が、新たな時代における人文教育のあり方を議論した。
■基調講演 人の知性だけができる見方も 青山学院大学総合文化政策学部教授・福岡伸一さん
私はかつて虫が大好きな少年で、チョウの卵や幼虫をよく捕まえていました。幼虫はある日、サナギになって動かなくなります。2週間ほどすると中からチョウが出てくる。もし宇宙人がチョウの成虫と幼虫を見たら、同じ生物だとはすぐに判断できないでしょう。それほど劇的な変化が数週間で起こるわけです。
「生命とは一体何なのか」
子ども心に疑問を持ちました。そして生物学者になった今も問い続けています。
20世紀における生物学の最大の発見は1953年、DNAが二重らせん構造だと解明されたことです。しかし科学の歴史をさかのぼると、違うことが考えられていました。1944年、オーストリアの物理学者シュレーディンガーは、物理学的に生命の謎が解けるかどうかを考え、「生命とは何か」という本を書きました。そこには、「生命を生命たらしめているのは、生命がエントロピー(乱雑さ、無秩序)増大の法則に抗しているからだ」と記されています。本来、秩序あるものはすべて無秩序の方向にしか動かない。建造物は風化し、熱いコーヒー、熱烈な恋愛は冷める。しかし生命体だけは、高度な秩序を細胞の中に維持し続けるのです。
ところがシュレーディンガーも、その方法を説明することはできませんでした。
生きていくために、私たちは食べ続けなければなりません。食べた物の粒子は体内に散らばり、体の一部になります。この時、同時に別のプロセスが起こっています。それは、体を形づくっていた粒子が代わりに抜け出し外に捨てられること。つまり「食べる」ことで、自分自身の体を入れ替えているのです。体は常に壊され、つくり替えられる。昨日の私は今日の私ではない。1年前ともなれば生物的には別人なのです。
ただし、つくり替えは完璧にはできず、酸化物やごみが残ります。徐々に蓄積され、結局、生命はエントロピー増大の法則に完全に打ち勝つことはできません。だから我々には寿命があるのです。
生命とは何か。私は「動的平衡にある状態」だと思います。動的平衡とは、つくることよりも壊すことを優先する。壊さないとつくれない。壊すことによって生じる不安定さを利用してつくり直す。このとき同時に、絶え間なくエントロピーが捨て続けられているのです。変わらないために変わり続ける、禅問答のようですが、大きく変わってしまわないために、絶えず小さく変わり続けるのが生命体。絶え間ない均衡の上で成り立っている状態、現象として生命がある。だからこそ、生命は柔軟で、可変的で、病気やケガでも新しい平衡状態を作り出せるものなのです。
分解と合成という相反する行為を同時に実行する動的平衡の生命観は、AIに理解できるでしょうか。私は「なかなか理解できないだろう」と考えています。
「AI的」な見方は「機械論的な見方」です。パラパラ漫画のように時間を分解してつなぎ、物事の動きを見ています。「人間」を深く理解しようとする学問である「人文知」はそうではない。パラパラ漫画になっているAI的な見方でなく、自然に対する本来の見方を取り戻す学問の働きです。「動的平衡」の見方も「人間の知性だけができる見方」なのです。
そういうわけで、「Singularity is never here(シンギュラリティーは起こらない)」――私はそう考えます。
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ふくおか・しんいち 生物学者 1959年生まれ、東京都出身。京都大学卒。米ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学総合文化政策学部教授・ロックフェラー大学客員教授。「生物と無生物のあいだ」「動的平衡」シリーズなど、「生命とは何か」を動的平衡論から問い直した著書多数。最新刊は「ナチュラリスト―生命を愛(め)でる人―」。
■シンギュラリティー
AI(人工知能)が人間の知性を超え、世界を根底から変えてしまう転換点をいう(専門用語で「技術的特異点」)。AIの将来を考えるときの重要なキーワードで、人工知能が爆発的な進化を遂げ、「人間がAIに支配される」といった形で現在とはまったく違う世界が出現することが想定される。
■パネルディスカッション
西垣通さん 東京経済大学教授
小林康夫さん 青山学院大学特任教授
水野千依さん 青山学院大学文学部教授
◇
基調講演に続き、「AIが拓(ひら)き、人文知が築く、大学の未来」をテーマにしたパネルディスカッションを行った。(進行は、一色清・朝日新聞社教育コーディネーター)
――まずはパネリストの皆さんから、自己紹介を含めて発言を。
西垣 民間企業から大学における研究の世界に入り、AIと哲学との関係などを考えてきた。AIの登場によって人間が機械の部品にされていくような恐れを感じる。今日は「AIを支配のツールにしてはいけない」という視点から考えてみたい。
小林 東大の駒場(教養学部)に長く勤めた。今日は「リベラルアーツ」の観点から、人間がAIの脅威にどう立ち向かうべきかを考えたい。
水野 専門はヨーロッパ中世からルネサンス期の美術史。人知を超えるAIの可能性やシンギュラリティー仮説が唱えられる現代、「人間とは何か」という問いが改めて突き付けられていると思う。そのことを考える機会にしたい。
――本論に入りたい。まずは人文知とAIの関係について。
小林 先ほどの講演からのつながりで福岡さんに質問。福岡さんが語った生命は個体ベースだが、生物は「種」という集合体として自己増殖を行っている。生物を「個」でみる場合と「種」でみる場合とでは違いがあるのでは。
福岡 人間以外の生命は「種」が基本的な単位で、種が存続することが大事。「個」は種にとってツールでしかないというのが本来の生命のあり方だ。しかし人間だけは、そうした生命のあり方の外側に立った唯一の種。種が大事だと考える以上に、個を大事だと考える。生まれてきた生命に価値がある。
小林 個が存在することが極めて特別なことで、それが人間の特異性だと。では「個」はどうやって生まれてきたのかという問いが続く。おそらく「言語」の発生とリンクしていると思う。人文知の最も根底にあるのは、まさに人間の「個」を理解することにある。しかし今やAIによって、これとは違ったものがもたらされるのではないかという不安がある。人間が膨大な情報量のネットワークの中にからめとられ、個という意識を失っていく危機の時代になるかもしれない。それこそ人文系の人間が真剣に考えなくてはいけない問いだと思う。
西垣 AIによる「創作」も増えている。例えばAIも俳句を作る。出来は決して悪くない。しかし中身をよく読んでみると、過去の様々な作品を詠みこんでつぎはぎしている。いわば剽窃(ひょうせつ)・ものまねだ。「言葉のイメージ」を持たないAIの俳句は芸術とは言えない。また、将棋や囲碁でAIが名人に勝つ話も評判だが、ゲームの状態の数は有限なのだから、1秒に1億回も演算できるAIが強いのは当たり前。かといってAIが賢い証拠にはならない。
――事前に集めた質問の中にも、「意味を解さないAIの作品は芸術と言えるのか」というものがあった。水野さんはどう考えるか。
水野 レンブラントの作品をもとにアルゴリズムを用いて、21世紀の新作を3Dスキャナーでつくるという企画がある。テクノロジーが生み出すレンブラントという点で、俳句とも似た例だ。しかしそれは過去の作品から演繹(えんえき)したものに過ぎず、芸術の創造とはいえない。絵画の物質性やその表面に堆積(たいせき)した歴史性も看過されている。「レンブラントらしさ」を凝縮し、均質な画素に還元してしまうに過ぎない気がする。だが一方で、芸術のあり方も時代とともに変わっていく。「芸術とは何か」について、テクノロジーを通して考える機会になるとも感じている。
――「時代」という観点では、人文系の学問の側に立つ専門家自身も変わっていかなければならない点がありそうだ。
小林 コンピューターが作った俳句を読んで、私は泣くかもしれない。そんなとき、この俳句は偽物なのだろうか。私はそう思わない。意味を作るのは「私」だからだ。制作者だけが意味を知っていて、私はただ教えてもらうだけではない。私が意味を他者に与え返すのだ。それこそ人間の文化の原点。その意味で、あらゆる真理は今この場にある。AIには「現在」がない。他者に開かれた「現在」という意味の創造を断固、擁護するのが人文知の重大な責任だ。
西垣 AIが意味を理解していないという事実を正しく踏まえた上で、人間の心が満たされ行動が豊かになるなら、AIを活用していくことは望ましい。例えばAIをツールとした外国語学習は、日本人の語学力アップにつながると思う。あまりお金もかからない。AIをツールにして人文知を考えていくのは悪いやり方ではない。
水野 AIは技術的・実用的な知としての側面と、あくまでも可能性ではあるが「人間を超える普遍的な知」という側面を持っている。人文知によって、AIが人間の思考や感情を脅かすような事態を防ぎたい。
西垣 AI時代における日本流のリベラルアーツをつくることが大事だと思う。リベラルアーツは西洋から来た考えで、シンギュラリティー仮説ともつながる。いまの世界は一方に排外的なナショナリズム、もう一方に金もうけばかり追求するグローバリズムがあって、二つがせめぎ合っている。どちらとも違う別の考え方があっていいはずだ。今日の討論が、これを構築するヒントになると思う。
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にしがき・とおる 東京経済大学教授 東京大学工学部卒業後、日立製作所に勤務。米スタンフォード大学でコンピューターを研究した後、東大大学院情報学環で文理融合の基礎情報学を構築し、2013年より現職。東大名誉教授。
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こばやし・やすお 青山学院大学特任教授 東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。東大大学院総合文化研究科教授を経て現職。専門は現代哲学・表象文化論。東大教授時代に編集したテキスト「知の技法」がベストセラーに。
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みずの・ちより 青山学院大学文学部比較芸術学科教授 京都大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士後期課程単位取得後退学、博士(人間・環境学)。京都造形芸術大学芸術学部教授を経て現職。専門は西洋美術史。
■人文系学問、さらに重み増す 会議を終えて
青山学院大学は2018年に「シンギュラリティ研究所」を設けた。シンギュラリティーとはAIが発達し人類の脳を超えること。そんな時に備えて、AIが社会に与える影響を文系学部の視点からも研究しようという狙いだ。
ディスカッションのテーマはそれにちなみ、AIが発達すると、人文系学問の重みは増すのか、それとも軽くなるのか、だった。
登壇者は文理とり混ぜた教養をもつ有名教授ばかり。開会前の控室から、人間とAIの関係について興味深い議論が繰り広げられた。本番にとっておいて欲しいと思うほどだったが、本番でも熱のこもったやりとりが続いた。
AIが人間を超えていくことに、登壇者はおおむね否定的だった。人文系学問にAIを活用するようにはなるが、AIに教わるようにはならないだろう。AIには心がなく、言葉の本当の意味を理解することができないためだ。議論を通じて私は、AIが発達すればするほど人間を知ることの大切さも増し、「人間学」のようなものが重要になるだろうと思うようになった。(一色清)
<青山学院大学> 明治初頭、米国のメソジスト監督教会から派遣された宣教師が創設した三つの学校を源流とする。1949年、新制大学として「青山学院大学」開設。現在、東京都渋谷区と神奈川県相模原市の2キャンパスで、10学部・12研究科の約1万9千人が学ぶ。2019年に開設70周年を迎え、コミュニティ人間科学部を開設する。
■朝日教育会議
国内外で直面する社会的課題への解決策を模索して広く発信することを目指し、15大学と朝日新聞社が協力して開催するシンポジウムです。昨年9月から12月にかけて1大学1会議で開催しました。各会議の概要は特設サイト(http://manabu.asahi.com/aef2018/)から。
共催大学は次の通り。
青山学院大学、神奈川大学※、神田外語大学※、関東学院大学※、京都精華大学※、聖路加国際大学※、拓殖大学※、中央大学、東京工芸大学、東京女子大学、二松学舎大学※、法政大学、明治学院大学※、明治大学、早稲田大学(50音順。※がついた大学は、新聞本紙での詳報掲載は一部地域)
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