(美の履歴書:586)「祭姪文稿」 顔真卿 次第に乱れる筆致、なぜ=訂正・おわびあり

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 ■「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」 顔真卿(がんしんけい)

 書聖・王羲之(おうぎし)と並び称される、中国・唐代の書の巨人・顔真卿。世界に数えるほどしかない彼の肉筆の中で、最高傑作といわれるのが「祭姪文稿」だ。

 日本初公開。節度使の安禄山らが755年に起こした安史の乱の際に、非業の死を遂げた従兄の顔杲卿(がんこうけい)とその子の顔季明への思いをつづった追悼文の草稿で、80センチ超の本文に、歴代の所有者の跋文(ばつぶん)(作品に対する感想文)などが付され、約6メートルの巻物に仕立てられている。

 顔真卿の書の魅力は、力強さと穏やかさを備えた独特の書法にある。それまで高く評価されていた、欧陽詢(おうようじゅん)、ちょ遂良(ちょすいりょう)、虞世南(ぐせいなん)の、いわゆる初唐の3大家の書は、端正でかっちりした書きぶりが特徴的だったが、顔真卿は筆の勢いを生かし、大胆に力強く表現する、重厚な、独特の書風を確立した。

 「祭姪文稿」は「維(こ)れ、乾元元年、歳(ほし)は戊戌(ぼじゅつ)に次(やど)る」から始まる24行。最初の行こそ、やや落ち着いた書きぶりで始まるものの、やがて千々に乱れ、書き直しなども増えてくる。

 「汝(なんじ)が残虐な死に遭ったことを思うと、私の体を百回身代わりにしても、どうしてつぐなうことができるだろう。(略)哀れみの思いで胸が張り裂け、腸が断ち切れ、その死を悼んで心身を震わせる悲憤にかられる」と嘆く、後段部分は圧巻だ。

 雄渾(ゆうこん)で、一見奔放な書きぶりゆえに、実は好みが分かれる書家なのだが、感情がほとばしる本作の筆致からは、彼の悲痛な思いが確実に伝わり、見る人の胸をうつ。(編集委員・宮代栄一)

 ▽「顔真卿 王羲之を超えた名筆」は24日まで、上野の東京国立博物館平成館(ハローダイヤル03・5777・8600)。11日を除く月曜と12日休館。

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・名前 祭姪文稿

・生年 中国・乾元元(758)年

・体格 縦28.2センチ×横81センチ

・素材 紙本墨書

・生みの親 顔真卿(709~785)

・親の経歴 中国・唐代の書家・政治家。長安に生まれ、734年に進士に及第、諸官を歴任した。安史の乱の際、兵をあげて反乱軍を迎え撃ち、高官の憲部尚書などに任じられる。しかし、783年、反乱を起こした淮西節度使の李希烈の説得を命じられ赴くも捕らえられ、785年に数え77歳で殺された。

・日本にいる兄弟姉妹 「自書告身帖」(東京・台東区立書道博物館)

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 [1]歴代所有者の所有印が至るところに押されている。大きな印は清の乾隆帝のもの。

 [2]「顔法」と呼ばれる、顔真卿特有のふっくらした文字の特徴がよくわかる。最初の数行は比較的淡々と筆を進めている。

 [3]逆賊が反乱を起こしたことを憤るくだりなどでは、筆が乱れ、行はうねり、以降は、書き直しなどがひんぱんに認められるようになる。

<訂正して、おわびします>

 ▼5日付美術面の「美の履歴書」で、取り上げた書の作品について「20センチほどの本文に、歴代の所有者の跋文(ばつぶん)(作品に対する感想文)などが付され、80センチ超の巻物に仕立てられている」とあるのは、「80センチ超の本文」「約6メートルの巻物」の誤りでした。本文の長さを巻物の長さだと思い込みました。