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 記者会見での自由な質問は、権力をチェックするために欠かせぬ手段である。首相官邸で行われている官房長官会見をめぐり、質問を制限するような官邸側の行為に批判が広がっているのは、国民の「知る権利」の侵害につながるという危惧(きぐ)があるからにほかならない。

 政府は先日、「事実誤認がある」などと、東京新聞の特定の記者の質問を問題視した内閣記者会への申し入れについて、報道機関への不当な介入や知る権利の侵害にはあたらないとする答弁書を閣議決定した。新聞労連や野党などの批判を顧みることなく、官邸報道室長名の申し入れを政府全体として追認するものであり、看過できない。

 新聞労連、民放労連、出版労連などでつくる「日本マスコミ文化情報労組会議」が答弁書の撤回を求める声明を出し、意に沿わない記者を排除する「権力者によるハラスメント」と批判したのはもっともだ。

 衆院予算委員会では野党議員が「事実に基づかない報道は問題だが、事実を知らないからこそ取材をする。申し入れは報道の萎縮を招く」とただした。

 驚いたのは、これに菅官房長官が「取材じゃないと思いますよ。決め打ちですよ」と言い放ったことだ。記者の質問の前提となる事実関係に誤りがあるというのなら、菅氏が丁寧に説得力のある反論をすれば足りるではないか。

 東京新聞は一昨日、「検証と見解」と題する特集記事を掲載した。一昨年秋から9回、「事実に基づかない質問は厳に慎んでほしい」などと官邸側から申し入れがあったという。

 また、記者の質問中に進行役の報道室長から「簡潔にお願いします」などと、たびたびせかされるようになったとして、1月下旬のある会見で、1分半に7度遮られた事例を紹介した。会見の進行に協力を求める範囲を明らかに逸脱しており、露骨な取材妨害というほかない。

 これは、官邸と一新聞社との間の問題ではない。メディアを分断するような官邸の振る舞いを許せば、会見は政権にとって都合のよい情報ばかりを流す発表会に変質してしまう。

 「記者は国民の代表として質問に臨んでいる」という東京新聞の見解に、官邸側は「国民の代表とは国会議員」と反論した。確かに、記者は選挙で選ばれているわけではないが、その取材活動は、民主主義社会の基盤となる国民の「知る権利」を支えている。質問を発する記者自身も、その重い責任を深く自覚せねばなるまい。

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