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 長年連れ添った伴侶に先立たれ、忘れられぬ思い出や感謝の思い、子や孫に伝えたい記憶を本の形にする人もいる。「朝日自分史」が依頼を受けて作った、そんな2冊の本をご紹介したい。

 ■「運命の人」、交わした100通以上の手紙 単身赴任中も気持ち通じていた

 文化庁やユネスコなどで勤め、数々の著書がある渡辺通弘さん(83)=東京都世田谷区=は、一昨年亡くなった妻まゆみさん(享年75)と交わした書簡を中心に、「鴛鴦(おしどり)の思い羽」という本をまとめた。まゆみさんについて「運命の人でした。妻のような品格のある女性に出会うことはないでしょう」と語る。

 渡辺さんは婚約中、まゆみさんを日本に残して米ワシントンDCのジョージタウン大学大学院に留学した。その13カ月の間に交わした手紙は130通以上に達した。結婚後のパリ単身赴任中にも、日本に残った妻と書簡を交わし続けた。

 まゆみさんの遺品を整理していた時、トランクの中から紫色の風呂敷に包まれた手紙が出てきた。「娘や孫たちに妻の人柄を伝えたい」と思い、朝日自分史での本作りを申し込んだ。

 2人が交わした書簡はただの「恋文」ではなかった。まゆみさんは愛読している小説の主人公に自分の気持ちをなぞらえるなどして、自らの気持ちをつづった。渡辺さんは哲学思想や世界情勢の動きなどを盛り込みながら、別れて暮らす寂しさを書いた。

 渡辺さんは「何千キロも離れて暮らしていたが、手紙から妻の切々たる気持ちが手に取るように分かった」と語る。そして、「妻と私の『波長』はぴったりと一致していた」と振り返る。

 渡辺さんが哲学思想を盛り込んだ著書「永遠志向」や「死の超越」を出版するときには、まゆみさんは校正などを一生懸命手伝い、「あなたの哲学思想は世界中の多くの人にも伝えるべき」と主張した。この言葉が一つのきっかけになり、著書の英語版の出版につながった。

 まゆみさんが病に倒れた後、渡辺さんは闘病の辛(つら)さを忘れさせようと、たびたび国内外の旅行に連れ出した。その都度、孫とくつろぐ妻の表情にほっとした。

 まゆみさんが息を引き取った時、渡辺さんは涙を流さなかったという。「妻は私が涙を流すことを嫌っていました。妻との50年に及ぶ生活を通じて、常に一体だったと感じられた瞬間でした」

 (桜井渉)

 ■結核を乗り越え歩んだ旅路 「生涯の感激」、その瞬間も共有

 神奈川県鎌倉市の平石雄一郎さん(90)は戦中戦後の物不足の中、家族を支えるため働きながら苦学し、国税庁などで働いた人生を自分史の著書につづった。その後、自分の仕事と家庭を支えてくれた妻清子さんも「自分史の一環」であると、亡き清子さんの思い出を別の著書「わが妻の記」にまとめた。

 清子さんはカトリック信仰が篤(あつ)い家庭で育った。結核で長く療養し、死に直面していただけに、周囲には結婚は無理だと反対する声もあったが、結婚後には2人の子供も授かった。子育てと家事に追われながら、「ハンカチが洗えるようになったのよ」「物干し一杯に広がったおむつの旗を眺めながら、人知れない幸福を味わっています」と当時の文章に記していた。

 1995年、清子さんはハワイに旅行中、くも膜下出血で倒れた。平石さんは定年後にオランダでのボランティアを計画していたが取りやめ、介護に専念した。清子さんは一時は一緒に旅行できるまでに回復したが、2011年に85歳で亡くなった。

 元気な頃、清子さんは平石さんの海外出張や旅行にいつも同行していた。88年のインド旅行中には、カルカッタ(現コルカタ)で偶然、マザー・テレサに面会でき、これを生涯の感激としていたという。

 妻との出会いをきっかけに平石さんはカトリックに入信した。「息子が積極的に教会の運営に関わるようになったことを、妻は天国からきっと喜んでいるでしょう」とほほ笑んだ。

 (河合信和)

 ■各地で無料相談会

 朝日自分史の事務局では、東京・大阪などで無料相談会を開き、自分史作りのコツや朝日自分史サービスの概要などをご説明するとともに、個別相談もしています。また、各地で出張相談会も開いています。今後の相談会の予定は以下の通り。

 ●東京=朝日新聞東京本社(中央区築地5丁目) 3月6日、12日、19日、26日、4月3日、9日、15日、24日

 ●大阪=朝日新聞大阪本社(大阪市北区中之島2丁目) 3月20日、4月17日

 ●出張相談会=青森・朝日新聞青森総局(青森市古川2丁目) 3月29日

 いずれも予約制。下の電話番号で、詳細なご案内や予約の受け付けをしています。

 ◆朝日自分史

 03-6869-8007/06-7878-8500

 お問い合わせ・お申し込みは土日祝日を除く10~17時

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