[PR]

 日本文学研究者のドナルド・キーンさんが亡くなった。

 繊細さとあふれる情熱をもって、骨太でスケールの大きな仕事に挑み続けた学究だった。

 太平洋戦争が始まる直前の1940年、ニューヨークで源氏物語の英訳に出会う。語学将校として沖縄やハワイに従軍し、戦後は京大に留学した。

 日米を往復しながら、芭蕉、近松から三島由紀夫、安部公房まで、多くの作品の翻訳に没頭した。古事記に始まり現代までを見渡す文学史の著作を、20年以上かけて執筆した。

 心を砕いたのは、海外にも国内にも根強くある「日本文化は不可解で異質だ」との評価を取りのぞくことだった。日本的とされる、心の内の小さな揺れや動きを表現する文学を個性として認め、そこにある感受性や美意識を愛し、同時に「私」を超える普遍性を見いだした。

 日本文学は決して日本だけのものではない。世界の人々の心を打つ不滅の作品なのだと確信し、期待してやまなかった。

 その営みが、一握りの読者しか持たなかった日本文学を世界の舞台に引きだした功績は大きい。いまや国境にかかわりなく多くの作家の作品が読まれている。素地をつくり、豊かにしてくれた第一人者だった。

 「何より人間に興味がある」

 晩年の20年余り、人物評伝に力を入れた理由を、キーンさんはそう述べた。明治天皇、渡辺崋山、正岡子規、石川啄木ら、変化の時代を柔軟に生き抜く姿に、日本人の強さを見た。

 東日本大震災を機に、かねての思いを実行して国籍を取得した。これを、はやりの日本礼賛の文脈で語るのは間違いだ。対談で「日本人になったからには日本の悪口もどしどし言うつもりです」と語っている。

 実際、キーンさんは、バブル崩壊後の日本社会のありように辛口だった。内向き志向、他者への配慮を欠いたふるまい。憲法9条が改定の動きにさらされている現状も批判した。

 本に親しんできた日本人が、テレビやゲームに興じ、古典と向き合う時間をなくしてしまっている風潮も惜しんだ。

 そういう「ファストフード」から得られる喜びには限りがあると指摘し、人間性の探求に駆り立てる文学が再び必要とされるかもしれないと書いた。近年は、現代の私たちに通ずる孤独や、自信と不安が背中合わせの矛盾を描いているとして、啄木の作品を勧めていた。

 豊かな文化の中に可能性がある――。キーンさんの言葉を、静かにかみしめたい。

こんなニュースも