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 (昭和33年)

 「第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します」。1964年10月10日、昭和天皇が開会式で宣言。東京五輪が幕を開けた。93の国と地域が参加。重量挙げの三宅義信選手が日本の金メダル第1号。日本は金メダル16個を獲得した。世紀の祭典の主会場「国立競技場」は、スポーツの「聖地」になった。

 前身の明治神宮外苑競技場から国立競技場へ、そして建設中の新国立競技場へと「聖地」は継承されていく。戦争中は学徒出陣の壮行会が行われたが、戦後は64年、2020年の東京五輪の開催地となり、戦争と平和の「象徴」の場になった。興奮と歓声に包まれたその歴史をたどろう。

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 明治神宮外苑競技場は1924年に建設され、400メートルトラックの内側にフットボール場を配置。「世界標準」を先取りした設計だった。外苑内には野球場や相撲場、水泳場も整備。「明治天皇が尚武の風を好まれたため、身体鍛錬の場として計画、建設された。国内の運動公園の先駆けだった」と名古屋大の片木篤教授(建築意匠)。

 同競技場では完成直後から、五輪を参考にした総合体育大会「明治神宮競技大会」が始まり、戦後の国民体育大会(国体)のモデルになる。名称を変えながら続き、最多で陸上や水上競技、球技、武道など約30種目あった。

 大阪教育大の太田順康(よりやす)教授(武道史)は「『明治大帝の遺徳を偲(しの)ぶ』という開催目的に政治色が強く、後年、軍国化にも加担したと批判もあるが、一方では、昭和初期の時代にも純粋にスポーツを楽しむムードがあった。各種目のルールや体育協会や競技連盟などの組織作りも進んだ」。

 37年に日中戦争が勃発。軍国色が強まる。39年の10回大会で「土嚢(どのう)運搬」や「手榴弾投擲(しゅりゅうだんとうてき)突撃」などの国防競技が始まり、43年の「出陣学徒壮行会」で競技場を埋めた学生2万数千人の多くが、帰らぬ人となった。戦争末期には神宮外苑の施設は陸軍の軍馬徴用場や倉庫に使われた。

 52年にサンフランシスコ講和条約が発効、日本が主権を回復すると、直後に安井誠一郎東京都知事が五輪招致の意向を示す。40年の東京五輪は戦争で返上、開催は地元やスポーツ界の悲願だった。

 五輪の布石として第3回アジア競技大会を誘致。政府は明治神宮外苑競技場を解体、58年3月、跡地に約4万8千席の国立競技場を建設した。5月に20カ国・地域が参加して開幕した。翌年、ミュンヘンの国際オリンピック委員会(IOC)総会で、64年の開催地に東京が選ばれた。

 国立競技場は63年、五輪に向けて7万1千席余に改装された。当時は国内唯一の多目的大型スタジアム。五輪後はサッカー日本リーグや大学ラグビーなどの「聖地」となる。91年の世界陸上競技選手権大会では、米国のカール・ルイスが男子100メートルで9秒86の世界新記録を樹立した。

 「国立競技場の100年」の著者でサッカージャーナリストの後藤健生さん(66)は「国立競技場は日本スポーツ界を支える存在でした」と指摘する。93年にサッカーJリーグが開幕。2002年のサッカーW杯もあり、各地に大規模なクラブのスタジアムが整備された。「最近はW杯予選も埼玉スタジアムが使われる。W杯以降、国立競技場の位置づけが変わってきていた」

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 いま、国立競技場の跡地に20年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設が進む。英国の建築家ザハ・ハディド氏の当初案は高額な費用などが問題になり白紙撤回。再コンペで大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所共同企業体の案が選ばれた。

 屋根の構造や外装の軒などに木材がふんだんに使われ、その量は約2千立方メートル。「周囲の大きな緑に溶け込んだスタジアムをめざしています」と日本スポーツ振興センター(JSC)新国立競技場設置本部の田阪昭彦建築課長。完成時は約6万席。高さ47・4メートル。総工費は1504億円。完成は11月の予定だ。

 2度目の東京五輪は来夏開幕。政府は五輪後、6万8千~8万人収容のサッカーやラグビーなどの球技専用に改装する方針だ。同本部の牧野美穂企画・事業運営課長は「スポーツの中核拠点であることは変わらない。20年のレガシーをどのように残すことができるかが、新国立競技場の使命だと思っています」と話す。(三ツ木勝巳)

 ■誇りと憧れ、次も早く見たい メキシコ五輪銀メダリスト・市民ランナー、君原健二さん(78)

 国立競技場が舞台のマラソンを4度走りました。なかでも、1964年の東京五輪は、戦後の日本で最も大きなイベントの一つ。私の競技歴で一番の誇りはその64年の東京五輪に出場できたことです。本番はすごい声援だったことを覚えています。

 力を十分に発揮しなければならないと思って臨みましたが、体が動かず8位。自己記録に及ばない2時間19分49秒でした。

 レース後、場内の控室で円谷(つぶらや)幸吉さんが悲しげな表情で簡易ベッドに横たわっていた。競技場内で抜かれ、3位になったことを後で知りました。円谷さんは後ろを見ず、選手が迫っていることを知らなかった。「次も必ずメダルを取る」と話していた彼は68年1月、メキシコ五輪を前に自ら死を選びました。

 円谷さんのために走ろうと臨んだメキシコ五輪。普段は振り返らない私が、2位で戻ってきた競技場の手前で、なぜか気になり、振り向くと選手が迫っていた。抜かれず2位を守れた。

 十数年前から、東京の新宿シティハーフマラソンに参加しています。今年も10キロコースを走りました。今の発着は神宮球場などですが、解体前は国立競技場。選手のころから憧れの競技場。周辺の雰囲気は64年の頃のままで感動します。思い出が詰まったこの場所に建つ新国立競技場を早く見たいですね。

 ■国立競技場の沿革と開催イベントなど

 <1924年> 明治神宮外苑競技場竣工(しゅんこう)、第1回明治神宮競技大会開催

 <43年> 明治神宮外苑競技場で出陣学徒壮行会

 <56年> 旧国立競技場起工式(58年完成)

 <58年> 第3回アジア競技大会開催

 <64年> 東京五輪で、日本が金メダル16個を獲得

 <65年> 日本サッカーリーグ開幕

 <67年> ユニバーシアード東京大会開催

 <68年> 第47回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝を実施(以後毎年実施)

 <74年> 第10回全国大学ラグビーフットボール選手権大会準決勝と決勝実施(以後毎年実施)

 <91年> 第3回世界陸上競技選手権開催、男子の競技では100メートルでC・ルイス、走り幅跳びでM・パウエル、400メートルリレーで米国が世界新

 <93年> Jリーグ開幕戦「ヴェルディ川崎対横浜マリノス」実施

 <2014年> 旧国立競技場閉鎖

 <16年> 新国立競技場着工(19年11月完成予定)

 ◇次回は「東京コレクション」です。

 <訂正して、おわびします>

 ▼3月20日付「あのときそれから 国立競技場の誕生」の記事で、片木篤名古屋大教授の話で「その身体鍛錬の場として出発計画、建設された」とあるのは「身体鍛錬の場として計画、建設された」の誤りでした。記事を修正する際に、直す前の文の一部が残ってしまいました。

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