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 障害のある人も、障害のない人もともに学ぶ「インクルーシブ教育」という考え方が、学校で広まりつつあります。国際社会と歩調を合わせ、日本でも少しずつ進展してきました。教育を通じて共生社会を目指す具体的な取り組みから、課題を考えます。

 ■いろんな子、みんな一緒 大阪市立小の映画、上映1700回

 障害のある子もない子も、ちょっと乱暴な子も、みんな一緒の教室で学び、育っていく。映画「みんなの学校」は、そんな小学校に密着取材したドキュメンタリーです。

 舞台は、大阪市の住宅街の真ん中にある市立大空小学校。開校は2006年と比較的最近です。

 初代校長を15年3月まで務めた木村泰子さん(69)は「すべての子に居場所がある」学校で、「すべての子の学習権を保障する」ことを目指しました。いろんな個性や背景を持つ子が集まり、いろんなことが起こります。地域の人も入ってくる中で子どもたちは、人とのかかわり方など大切なことを学んでいきます。

 映画は関西テレビの番組をもとに制作され、15年に公開されました。今も市民グループなどによる自主上映会が途切れなく続いていて、上映回数は1700回を超えたそうです。配給元の東風(東京)は「様々なドキュメンタリー映画を配給してきましたが、1700回というのはほかに例がないです」と言います。

 3月28日には埼玉県桶川市で上映会と木村さんの講演がありました。主催した「みんなの学校さいたまネットワーク」の代表、加藤俊江さん(43)は「多くの人に、命や人生を本当に大切にできる、安心できる学校・地域づくりに踏み出してほしい。その具体的な一歩にと願って企画しました」と話します。参加者たちは、地域ごとに輪を作ってお互いの連絡先を交換していました。

 その輪の中に、4月からさいたま市の幼稚園で働き始める水野葉月さん(22)がいました。「いろんな子が一緒にいるのが普通というのは、自分が出た小学校とはずいぶん違いました。これからの仕事に生かしていけると思います」と話していました。

 ■「区別しない」広がる動き

 大空小はどこにでもある小学校です。そこで「公立の大空小でできるなら、自分の町や学校でも」と動き出した人が日本中にいます。

 3月6日、広島市安佐南区の住宅地にある公民館に、小学生の母親ら十数人が集まりました。上映会を機に生まれた「COCOKARA」のおしゃべりの会。障害などを背景に何らかの「困り感」を持った子が、学校や家で安心していられる環境をつくろうと活動しています。

 意見交換のテーマは「新年度、先生にどこまでお願いするか」。お願いだけでなく「学校に行けば私たちにも手伝えることがある」「いつでも学校に入れるといい」といった意見が出ました。会を運営する大郷(おおごう)真由美さん(50)は「学校と良い関係を築き、いろんなことに取り組めるようにしたい」と語ります。

 映画を見た人たちが勝手連的に催す「『みんなの学校』全国大会」も続いています。17年に大阪で第1回、昨年は名古屋で第2回があり、3回目は今年8月に北海道旭川市で開かれることが決まりました。

 実行委員の渉里(わたり)美香さん(37)は「障害の有無で子どもを分けないという意識は、たくさんの人に芽生えています」と言います。

 旭川市内と近郊には、知的障害や視覚、聴覚障害などの障害種別に特別支援学校が設置されています。一方で現在は、比較的重い知的障害のある児童生徒が小学校で1人、中学校でも1人、通常学級に在籍しているそうです。

 大阪市立南港桜小学校の市場達朗校長(54)も「みんなの学校」づくりを広める一人です。大空小で教頭、2代目校長を務め、昨年4月に南港桜小にやってきました。

 最初にやったのは、教室と廊下の間の曇りガラスを透明な窓に変えたこと。校長室には子どもが描いた絵を飾っています。南港桜小には特別支援学級もありますが、なるべく通常学級で学べるようにしているそうです。「障害のくくりで分けるのではなく、目の前の子どもをみんなで見守りたい。地域の人にも、いつでも来てくださいと言っています」と話しています。

 ■「通常学級」の学びから問い直そう 元大阪市立大空小学校長・木村泰子さん

 私が大空小学校で目指したのは、目の前にいる一人の子を安心させることでした。きっかけは開校1年目に転校してきた6年生です。

 発達障害があり、食事は白いごはんしか食べられませんでした。前の学校では熱心な給食指導を受け、入学から2週間で登校できなくなったそうです。この子が安心して周りの子と一緒に居られるにはどうしたらいいか。そこから出発しました。

 映画を見た人の多くは、子ども同士が助け合う姿を見て「なんでできるの?」と聞きます。大人が子どもを分断し、力をそいでいることに気づいていないのです。子どもたちはいつも一緒に学んでいれば、言葉でコミュニケーションをとれない友達とも、表情、しぐさなどを通じてコミュニケーションをとれます。

 特別支援学校や小中学校の特別支援学級に在籍する子が増えていますね。多くの人が、みんなが一緒に学ぶことの大切さを頭では分かっていますが、実際には「特別なケアが必要だから」と分けてしまうのです。

 特別なケアが必要な場合に、それを求めるのは当然です。その支援が、みんなと一緒ではできないことは一体どれくらいあるでしょうか。人の多様性を認め、尊重しあうために、「分ける」「分けない」の議論の前に「通常学級」の学びを問い直すことが大切だと考えます。

 ■厳しい現実、進学に壁

 ただ、現実はまだまだ厳しいようです。首都圏の公立小学校の通常学級に在籍する、読み書き障害のある女子児童(11)は、1年ほど前から教室にタブレット端末を持ち込むことを認められました。

 小学校低学年で発達障害と診断されました。保護者は通常学級で学ぶ道を希望し、最初はプリントや教科書を自分で拡大して使っていましたが、追いつかなくなり、タブレット端末の使用を交渉しました。ただ、特別扱いするのはどうか、タブレットが壊れた場合の弁償は、などと言われ、なかなか実現しませんでした。

 ようやく今は認められ、黒板の板書をタブレットで撮影したり、ノートをキーボード入力したり、宿題のプリントや小テストを自分で端末に取り込んで記入し、プリントアウトして提出したりできるようになりました。「でも、来年中学に入って同じ環境が整う保証はないし、不安です」と母親(45)は話します。

 教科担任制になり定期テストもある中高生になると、さらに壁が高くなります。同じく読み書き障害のある関東地方の私立高校に通う男子生徒(16)は、中学時代、通常学級で定期テストも授業も、パソコンの使用を認められていました。しかし、教科担任によっては使うことを制限されることもあり、公立高校を受験するのに大切な内申点は「他の子と違う方法で受けている」という理由で、同じ評価にしてもらえませんでした。結果的に内申点が足りず、志望の公立高受験は断念しました。

 「インクルーシブ教育の中で配慮は受けられるようになっても、それが成績や進学に結びつかなくては、結局、将来が閉ざされる」と母親(52)は言います。

 一方で、「特別支援学級の少人数での手厚い教育の方が、きちんと子どもをみてもらえて、成績を上げるにも進学にもかえっていいのでは」という保護者もいます。

 長年、学校現場で障害児の学習相談にのってきた特別支援コーディネーターの公立小教諭は、「その子その子の特性や時期、その学校の環境、進学など様々なことを考慮しないと、一概に、みんな通常学級で学ぶことがいいとは、日本の現状では言えない」と話します。

 ■個々に応じた教育、選べる環境こそ 東京大教授(人間支援工学)・中邑賢龍さん

 日本で叫ばれる「インクルーシブ教育」に、最近、疑問を感じています。いろんな子が同じ通常学級に入って、同じ授業を受けて、互いに理解しあわなければならないように語られますが、本当のインクルーシブ教育って、そうではないんじゃないでしょうか?

 そもそも障害の有無にかかわらず子どもの能力には差があります。つまりスタートラインが違うわけです。一人ひとりの持っているいいものが一つでも引き出されて輝くように、個々に応じた教育が選べる環境こそが重要だと思うんです。全教科、同じ内容を一斉に学ばなくてもいい。学区に関係なく好きな内容を学べる学校を選べたり、ゆっくりな授業速度や、少人数など、様々なクラスがあったり。公立の通常学級自体にもっと多様性が必要なんです。

 我々の研究では、英語の音とスペルが結びつきにくいなど、特性的に学習に困難を抱える小中学生が全国に1割程度いると推測しています。その子たちは、障害の診断があるわけではありませんが、苦手さは努力しても克服しにくいものです。何より大変なのは、高校や大学入試の大半は英語が必須で、苦手だからと免除されることはない。

 障害の有無にかかわらず、タブレット端末も電卓も、好きな道具を授業にも試験にも持ち込んでいい。また、努力しても苦手な教科は他教科に振り替えてもいい。そんな学校になれば、自然体で、最大限のパフォーマンスが発揮できる学習環境になるに違いありません。それが真のインクルーシブ教育だと思います。

 一斉指導でも個別指導でも、標準的な人間像を作り上げ、そこに近づくことを目標にした今の日本の学校教育が根本から変わらない限り、本当のインクルーシブ教育にはなり得ないのではないでしょうか。

 ◆キーワード

 <インクルーシブ教育> inclusiveは「包括的な、包み込む」という意味の英語で、障害の有無などによって学ぶ場や環境を分けられることなく、一人ひとりの能力や苦手さと向き合いながら共に学ぶ教育を指す。2006年に国連で採択された「障害者の権利に関する条約」にその考えが盛り込まれた。日本では12年に文部科学省が「インクルーシブ教育」の方向性を打ち出し、障害のある子の就学手続きも13年に改めた。それまで特別支援学校に進むのが原則だったが、本人や保護者の意見を尊重しつつ、一般の小中学校と合わせて総合的に判断することとした。

 ◇人には、だれにも得意な部分と苦手な部分があります。苦手な部分が、目や足が悪いなど、周囲に見えることの場合は、眼鏡や車いす姿で教室にいてもさほど抵抗を受けません。ところが、見えない部分、例えば読み書きや聴覚過敏などになると、途端に理解されにくくなり、学びの場で「眼鏡代わり」を使うのに壁が立ちはだかります。それぞれの方法、環境で学ぶのが当たり前になって欲しい。みんな一緒の教室を好まない選択もあっていい。教育は、だれにもある権利だから。(宮坂麻子)

 ◇「みんなの学校」の取材では「インクルーシブ教育」という言葉はあまり聞きませんでした。代わりによく聞いたのは、「みんなで見守る」という言葉です。文部科学省はインクルーシブ教育の仕組みを構築するために、通級指導や特別支援学級、特別支援学校など「多様な学びの場」を用意すると言います。ですが、そうやって学びの場を分けすぎると、みんなで見守ることは難しくなるのではないでしょうか。一人ひとりの子どもを大切にする方法を、もっと考えたいと思いました。(吉沢龍彦)

 ◇来週14日は「最近、眠れてますか?」を掲載します。

 ◇ご意見はasahi_forum@asahi.comメールする、ファクス03・5541・8259、〒104・8011(所在地不要)朝日新聞社オピニオン編集部「フォーラム面」へ。

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