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 暦の上に休みが10日間つらなっている。きょうが初日だ。

 1948年に祝日法が施行されて以来、最長だという。

 指折り数え、遠出の準備をしてきた人も多いだろう。うきうき気分で今なお、予定を思案中の人もいるはずだ。

 一方で、戸惑っている人も少なくないのではないか。この異例に長い「オフタイム」を、どう過ごしたものか、と。本紙の社説を担っている論説委員室にもそんな声は多い。

 日本人は休むことが不得手、といわれる。長時間労働が長く認められてきた歴史の影響は深い。強いられずとも、勤勉さを尊ぶ文化や、周囲に気を回す習性も背景にあるだろう。

 だがここはひとつ、肩ひじ張らず、深呼吸してみよう。

 ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデの「モモ」は、社会の一端の風刺がいまなお鋭く迫り、読み継がれている。

 時間の節約と引き換えに、お金と便利さを手にした人間たち。いつも不機嫌で、生活の質はやせ細る。余暇さえ、無駄なく、せわしなく遊ぶ――。

 邦訳から四十余年。時短は進み、世の中の意識も遅まきながら変わり、今月から働き方改革の法律も施行された。だが、休みとの幸せなつきあい方や、自分だけの時間割の作り方は、多くの人が答えを探し続ける難問ではないか。

 この連休。発想のリセットを試みたい。スピーディーな成果を求められる縛りから脱し、空白の時間を大切にする。

 何もしない。目的がなくてもいい。主体的に何かをなすといった観念は横におき、暮らしに起きることを楽しんでみよう。あれこれ考えすぎるのも、思い切って、打ち止めに。

 「心と体を休め、物事をゆっくり観察する。必ず副産物や残りかすを生み出すものです」。文化人類学者・今福龍太さんの言葉だ。「副産物や残りかす」は、しずまった心に訪れる発見や感覚の喜びなのだろう。

 「モモ」で、主人公の少女の特技は相手の話を聞くことだ。それが周囲を幸せにする。ゆるやかな人の交わりが日常の小事でも宝石に変えうる。

 もっとも、今回の連休には問題もあった。政府は、市民生活への影響の見定めを尽くさないまま決めてしまったからだ。

 休みたくても休めない人もいれば、子供の預け先がなく苦労する人たちもいる。休み続きが置き去りにしている社会の現実を見落としてはなるまい。

 多様な生き方の時代ともいわれる。そもそも公の取り決めで一斉に休みを共有するのが、どこまで現代にマッチするのか。そのあたりも検討課題だろう。

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