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 天皇陛下がきょう4月30日をもって退位する。

 陛下にとっては、日本国憲法が定める象徴天皇像を追い求める「旅」に終止符を打ち、緊張から解放される日といえる。

 皇后陛下も同様であろう。新たな皇室の姿を作りあげるうえで、美智子さまが果たした役割は大きい。長年のお二人の歩みに深い敬意を表したい。

 ■支持された30年の旅

 陛下がたどりついた象徴の務めとは、「国民の安寧と幸せを祈ること」であり、「事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」だった。

 具体的には美智子さまとともに、社会的に弱い立場にある人たちとの交流、被災地の訪問、沖縄を始めとする国内外での戦没者の慰霊などを重ねてきた。ひざを折り市井の人と同じ目の高さで話すスタイルは、皇室に威厳を求める右派勢力から批判されたが、多くの国民はこれを受け入れ、歓迎した。

 退位の意向をにじませた3年前の「おことば」は、高齢に伴う体力の衰えからこの務めを果たすのが難しくなった自らが、天皇の地位にとどまることへの疑義を表したものだった。

 国政に関する権能をもたないはずの天皇が、事実上新たな立法を迫る発言をすることが許されるのか。そんな問題も浮上したが、世論は一気に「退位やむなし」に傾いた。陛下の取り組みへの理解と共感の広がりを、端的に示す現象だった。

 「おことば」の後、退位に向けた政府内での論議、特例法の制定、関連する行事のあり方の検討など、代替わりのためのもろもろの作業が続いた。

 新元号発表の場を政権のPRに使ったり、憲法の政教分離原則をあいまいにしたまま儀式の詳細を決めたりするなど、政府の対応は多くの疑問と課題を残した。即位に伴う式典は今後も続く。前回の方式にただならうのでなく、正すべき点は正す。そんな誠実な姿勢を求める。

 ■判断するのは主権者

 この間、天皇や皇室をめぐる議論は活性化し、様々な角度から事実の解明や分析があった。

 終身在位など当然視されてきた事柄の多くは、明治期に作られたものであること。歴史を顧みると、旧憲法下の神権天皇制の異様さが際立つこと。戦犯裁判の判決を受け入れ、戦争の責任を認めることによって日本は国際社会への復帰を果たし、天皇制も存続し得たこと――。

 かつて陛下が会見で、桓武天皇の生母のルーツは朝鮮半島にあると紹介し、大陸との長い交流の意義を語ったエピソードにも、再び光があたった。

 知識を整理する機会に接し、認識を新たにした人も少なくないのではないか。次代の皇室像を探るうえでも、歴史に学び、正しい情報を持ち、必要に応じて原点に立ち返って検討する姿勢は欠かせない。

 留意すべきは、陛下が語った象徴像が唯一の答えではないということだ。「陛下発」の退位論議は、国民が天皇のあり方について突きつめて考えてこなかったことをあぶり出した。「おことば」をただ受け入れ、再び思考停止に陥ってしまっては、同じ轍(てつ)を踏むことになる。

 人々の広範な支持を思えば、骨格は受け継がれていくだろう。だが、時代に応じた見直しはあってしかるべきだ。

 象徴天皇制は、国家の制度を特定の個人と一家が背負う仕組みであり、その人数、年齢、健康状態などに起因する限界や矛盾を常に抱える。何より、公務を担う皇族が減るなか、平成の時代にぎりぎりまで広がった活動を、この先いかなる判断基準に基づき、どう整理するのかという難題が待ち受ける。

 最終的にその当否を判断するのは主権者である国民だ。皇室は「日本国民の総意」のうえに成り立っていることを、いま一度確認しておきたい。

 ■政治が機能してこそ

 最近の風潮で気になるのは、現実政治に対する失望や焦燥が天皇への期待を呼び起こし、求心力を高めるひとつの原因になっていることだ。一方で、憲法に忠実であろうとした陛下の退位を、憲法が保障する自由や権利、平等などの価値を否定し、戦後体制の見直しにつなげようとする言動も目につく。

 どちらも皇室の政治利用につながる動きで、認められるものでない。天皇に頼るべきでないことを頼る空気がはびこるのは危うい。その認識を一人ひとりが持つ必要がある。

 天皇が国民統合の象徴であるためには、この社会が実際に統合されていなければならない。言うまでもなくそれは、ひとつの色で国を染め上げたり、束ねたりすることではない。多様な価値観を認め、互いを尊重しあう世の中を築くことだ。

 政治が期待される本来の機能を発揮して、社会にある分断の修復に努め、その芽を摘む。むろん、対立をあおる言動は厳に慎む。そうであってこそ天皇は統合の象徴たりうると、政治家は心してもらいたい。

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