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 障害がある人たちに不妊手術を強いた旧優生保護法は、個人の尊重や幸福追求権を保障した憲法13条に違反する――。手術を受けた宮城県の女性2人が国に損害賠償を求めた裁判で、仙台地裁はそう判断した。

 国会と政府は違憲判決を重く受けとめ、必要な措置を早急に講じなければならない。先月下旬に被害者に一時金を支給する法律が成立し、安倍首相はおわびの談話を出した。だがそれで十分とは到底いえない。

 判決は、子を産み、育てるかどうかを決める権利を「幸福の源泉」と位置づけ、旧法の規定は無効だと結論づけている。

 まず対応が問われるのは、そのような人権侵害の法律を1948年に全会一致で制定した国会だ。不当な立法の責任と被害者への謝罪を、国会決議の形で明確にする必要がある。

 支給法は前文に「反省とおわび」を盛り込んではいる。だが主語は「我々」となっており、誰のことをさしているのか、被害者らはそのあいまいさを批判し、納得していない。

 一連の経緯を検証する作業も不可欠だ。被害者の声をくみつつ、有識者による第三者機関を設けて真摯(しんし)に取り組む。その枠組みづくりも国会の務めだ。

 96年に旧法が改正されるまでに手術を受けた人は2万5千人にのぼる。法の執行にあたる政府が当面急ぐべきは、支給法に基づく補償を着実に進めることだ。障害ゆえに手術を受けたこと自体を認識していない人への周知を含め、課題は多い。

 承服できないのは、地裁が旧法の違憲性を厳しく指摘しながら賠償は認めなかったことだ。「どんな賠償制度をつくるかは国会の裁量に委ねられており、その必要性は明白ではなかった」と述べ、国会と政府をあっさり免罪してしまった。

 しかし、国連の人権機関は98年以降、再三にわたって必要な法的措置をとるよう日本政府に勧告し、日本弁護士連合会も同様の意見を表明してきた。04年には当時の坂口力厚生労働相が国会で「今後考えていきたい」と答弁している。

 それでもなお、「裁量の範囲内」で片づけてしまうことは、政治の怠慢のつけを被害者に押しつけるに等しい。それが正義にかなうのか。立法・行政をチェックする司法の使命を果たしているといえるのか。重大な疑念を残す判決となった。

 原告側は控訴する方針だという。高裁や、同種の訴訟を審理している全国のほかの地裁の判断を注視したい。

 人を差別し尊厳を傷つける。そんな愚行を繰り返さないために、この問題から社会が学ぶべき教訓は、まだまだある。

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